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Policy(提言・報告書)  環境、エネルギー 生物応答を利用した排水管理手法(WET手法)の活用の再考を求める -報告書「生物応答を利用した排水管理手法の活用について」に対する意見-

2016年1月19日
一般社団法人 日本経済団体連合会

概要PDF版本文

はじめに

産業界は、水の排出者のみならず、使用者としての立場から、環境基本法や水質汚濁防止法等に基づき、人の健康の保護と生活環境の保全をするうえで科学的に必要性が認められる政策に可能な限り協力し、わが国における水質の改善に大きく寄与してきた。そのスタンスは今後も変わるものではない。

そうしたなか、環境省は「生物応答を利用した排水管理手法(以下「WET手法#1」)の有効性について、学識経験者からなる検討会を設置し、約5年間にわたって、排水を管理してきた産業界の意見を聞くことなく、非公開で検討を進めてきた。今般、これまでの検討結果を初めて、「生物応答を利用した排水管理手法の活用について」と題する報告書として公表した#2。報告書では、「WET手法の導入については多くの課題が存在する」としながらも、WET手法の制度的枠組みとしては、当面、事業者の排水管理に関する自主的取り組みの一環として位置づけ、水質汚濁防止法第14条の4で規定する「事業者の責務」も踏まえて、事業者による取組みを促していくことが考えられる、と結論づけている(報告書21頁)。

しかしながら、WET手法をわが国で活用するにあたっては、以下に指摘するように、あまりに多くの課題が残されている。WET手法は現状、「排水管理手法」と言えるものではなく、「数ある排水評価手法のうちの1つ」という段階にあるに過ぎない。産業界としては、このような状況のなか、自主的取り組みとはいえ、政府が事業者に対して、排水管理手法としてWET手法の活用を促すべきではないと考える。

環境省は、WET手法をわが国で制度的に位置づけて促進していくことの必要性について、その根本から再考すべきである。

1.WET手法をわが国で活用することの問題点

(1) 工場等からの排水に含まれる化学物質と水生生物への影響に関する因果関係や、具体的な水質改善対策が不明確

報告書では、「WET手法活用の意義」について、「原因物質が特定できない魚の浮上死等が観測されている」ことなどから、「工場等からの排水に含まれる未規制の化学物質が水生生物に何らかの相加的または相乗的な影響を与えている可能性」があり、「WET手法の活用によって、水生生物に影響を及ぼすおそれがある化学物質による環境汚染を効率的に防止することが期待される」としている。そのうえで、「水生生物の生息・生育環境は水域の護岸や河床など物理的な構造といった要因の影響も受けており、本手法のみによって水生態系の健全性が担保されるものではないが、WET手法を一つの『ものさし』として、「各工場等における予防的措置の観点から、活用を図ることが有意義である」と位置づけている(報告書4-5頁)。

しかしながら、WET手法を活用するのであれば、工場等からの排水に含まれる化学物質と水生生物への影響との因果関係を踏まえる必要がある。排水に含まれる化学物質と水生生物の生態に影響を与えている因果関係が科学的に明らかにされていない段階で、WET手法を活用して水生生物の生育に影響があるなどの分析結果が出ても、事業者がその原因を究明することは困難である。また、原因が不明な状況では、水質改善に向けて事業者が具体的にどのような対策を講じたらよいか明らかではなく、環境汚染を効率的に防止できるか不明確である。

(2) 工場等からの排水のみをWET手法の対象としていることの問題点

すでにWET手法が導入されている米国では、公共用水域における水生生物への影響を把握することを目的として、WET手法が活用されている#3

しかし、報告書は、わが国におけるWET手法を「事業者が排水管理に取り組むための手法」として位置づけ、わが国特有の事情も鑑み、影響が検出された場合の原因究明の実施可能性の観点から、事業場からの排水のみをWET手法の活用対象とし、試験の試料として、最終放流口である排水口で採取することが適当としている(報告書16頁)。

WET手法の本来の目的である、公共用水域における生物多様性の確保や化学物質による水生生物への影響の把握のためには、工場等からの排水口のみならず、下水道や農業排水等の流入がある公共用水域を含めた検討が必要である。

(3) 淡水生物や外来種を用いて試験することの是非

報告書では、WET手法の試験方法#4に関して、排水の海域放流事業所や海水の工程内使用事業所においても、淡水生物を使用して試験するとしている。また、外来種をわが国の排水に適用することを推奨している(報告書14-16頁、18頁)。

しかし、評価生物の順応の程度は、河川、湖沼、海域によって異なり、淡水、海水によっても異なる。そうしたなかで、淡水生物を用いてわが国の海域への排水を試験することの合理性や適切性が不明である。また、生態系は国や地域ごとに異なり、諸外国のWET手法で使用している外来種の生物種を用いて、わが国で試験を行うことの妥当性には大きな疑義がある。

加えて、生物多様性の保全に取り組む環境省が、試験用に飼育した大量の生物種を試験後に廃棄せざるをえないような手法を推奨することは、理解できない。報告書で推奨されているメダカは、環境省レッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)の中で絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。

(4) 試験機関や使用する生物種の確保が不十分

報告書において、「現時点では、信頼性のある試験を実施できる試験機関が十分確保できておらず、実績が少ない」と記述されているとおり、わが国では、分析を行う試験機関の数が少なく、技術水準も確立していない。また、試験に使用する生物種の品質と安定供給が保証されていない。事業者にWET手法の活用を促すに十分な環境が整っていないと考える。

(5) わが国と諸外国における排水管理制度の違い

WET手法を導入している米国の制度では、事業者の事業内容、事業規模、排水管理方法など、個別の状況に応じてWET手法を採用している。これに対して、わが国における水質管理制度は、すべての事業場に一律の条件で個別化学物質の規制を課してきた。

このような制度的な違いがあるなかで、諸外国で活用しているWET手法を補完的にわが国で導入を目指すことは、諸外国と比べて過剰な水質規制を課すことにつながる。わが国の水質改善状況が芳しくないならともかく、一定の成果をあげているなかで、補完的に活用することの意義、必要性が乏しい。

2.WET手法の活用がわが国企業の経営に与える弊害

(1) 排水管理の補完的手法としては莫大なコストを要する可能性

WET手法を活用した場合、事業者は、排水を定期的にWET手法により評価することが求められ、多額の費用負担が必要となる。報告書では、「藻類、甲殻類、魚類の3種類の生物種の試験をすべて実施した場合の試験費用は、現時点で1検体あたり約100万円程度と見込まれる例がある」としている。

しかしながら、排水の汚染状態に季節的等の変動が想定される場合は、試験の実施頻度を高める必要が生じる可能性がある。また、何らかの要因によって、水生生物に何らかの影響があるとの結果が出た場合は、再試験のため追加で複数回データを取得する必要があり、1事業所あたり1,000万円超のコストがかかることが容易に想定される。加えて、因果関係や具体的な対策に関する具体的な知見が明らかになっていないなか、水質改善にかかる対策費用は計り知れない。

(2) 地域との共生やリスク・コミュニケーションに支障をきたすおそれ

事業者は地域との共生を図る観点から、地元の地方自治体や地域住民の方々との円滑なリスク・コミュニケーションに尽力している。その一例として、排水等に含まれる化学物質が公共用水域等に与える影響等について、適宜データを公表し、地域の方々との信頼関係の醸成に努めている。

報告書では、事業者の自主的取り組みを促進するため、事業者に不利益が生じないよう、結果データの公表も含めた取扱いについてガイドラインを定めておく必要があるとしている。

しかしながら、WET手法に関わる要因分析や改善策等に関する科学学的知見が蓄積されていないなかで、WET手法で水生生物への影響が判明したとの分析結果が出て、その結果を地元の方々に公表する際、その改善策をあわせて説明することができなければ、今まで培ってきた地域住民との信頼関係が揺らいでしまう。

加えて、WET手法の必要性に関する国民理解が十分に浸透していないなかで、政府・地方自治体が事業者に自主的な活用を促せば、WET手法を自主的に実施しない事業者が、地域住民から誤った評価を受ける恐れがある。

3.政府が事業者の自主的取り組みと位置づけて推進することの問題点

(1) 事業者が必要性等を理解できない段階で、政府が取り組みを促すことの是非

報告書では、知見の蓄積を図ることを目的として、WET手法を事業者の自主的取り組みの一環と位置付けて活用を促すことが適当であるとしている。しかしながら、自主的取り組みは、本来、WET手法の意義や必要性を産業界自らが十分に理解した段階で、事業者が自主的に取り組むものであり、その意義や必要性を多くの事業者が理解しない段階で、政府が事業者の自主的取り組みとして、WET手法による試験の実施を促すべきではない。

政府がWET手法の普及促進策を打ち出せば、地方自治体がWET手法の促進を担保するための条例制定につながる可能性があり、WET手法の効果や必要性が示されないまま自主的な取り組みがWET手法の強制化につながることが懸念される。環境省は、産業界や地方自治体、ひいては地域住民に与える影響の大きさについて、十分に認識すべきである。

(2) 自主的取り組みを促す法的根拠

報告書では、事業者の自主的取り組みを促進する理由として、水質汚濁防止法第14条の4(事業者の責務)#5を挙げているが、同項は、事業者が明らかな汚水や廃液を公共用水域に誤って排出しないように管理することを目的とする趣旨であり、毒性影響が明らかではない物質を確認することではない。

WET手法の活用促進を同項に結びつけると、WET手法による試験で毒性影響ありと判定され、その原因が不明な場合や対策を講じても改善が見られない場合に、水質汚濁防止法との関係で、大きな問題になる。

おわりに

報告書には、わが国におけるWET手法の活用の意義ならびに必要性について十分な根拠が示されているとは言えない。また、本来、WET手法は下水道や農業排水等の流入がある公共用水域を含めた検討が必要であるにもかかわらず、事業者の工場等からの排水口を対象とするなど、現段階では、活用にあたり多くの課題が残されている。こうした状況のなか、政府は事業者に対し、自主的取り組みとしてWET手法の活用を促すべきではない。

そもそも、人の健康の保護や生活環境の保全の観点から必要な政策ではなく、生物多様性の確保といった今日的な政策目的の観点から講じる政策については、科学的知見はもちろん、費用対効果を十分に吟味し、関係者の意見を聞き、理解を得るなど、検討を深めたうえで、進めるべきである。

報告書では、「WET手法の活用によって、水生生物に影響を及ぼすおそれがある化学物質による環境汚染を効率的に防止する」と記載している。しかしながら、産業界としては、排水等に含まれる化学物質と水生生物への影響に関する因果関係や改善方策に関する科学的な知見が明確化されていないなかで、従来から行われている日本固有の水質規制に加えて、WET手法を補完的に導入することは、水質改善手法として非効率と考える。

かつて、日本経済の再生を阻害する「6重苦」の一つとして、「厳しい環境規制」が掲げられていた。第三次安倍内閣は、現在、日本経済の再生を最優先課題に掲げて、「6重苦」の解消をはじめ、日本国内での事業環境の整備に取り組み、産業界に設備投資や賃金引き上げ等を求めている。わが国固有の水質改善規制に加えて、諸外国等で活用されているWET手法を新たに補完的に導入することは、工場等の国内立地条件を悪化させるものであり、経済再生の足かせとなる。環境政策の立案・遂行にあたっては、経済との両立を十分に考慮すべきである。

以上

  1. 米国では、全排水毒性(WET:Whole Effluent Toxicity)試験と言われている。具体的には、希釈した排水の中で、藻類・ミジンコ類・魚類の水生生物の生存、成長、生殖に与える影響を測定し、工場・事業場からの排水全体が有毒かどうかを評価する手法。
  2. http://www.env.go.jp/press/101686.html
  3. 報告書でも、米国のWET試験では、排水が放流先の河川である程度希釈された状態において慢性影響が検出されないことを、排水放流許可の条件としているケースが多いと指摘している(報告書23頁)。
  4. 報告書では、WET試験で用いる生物種として、藻類((1)ムレミカヅキモ)、甲殻類((2)ニセネコゼミジンコ)、魚類((3)ゼブラフィッシュまたは(4)メダカ)の3種の淡水生物種すべてを使用することを推奨。(1)~(3)は外来種、(4)は国内生息種。
  5. 水質汚濁防止法第14条の4(事業者の責務)「事業者は、この章に規定する排出水の排出の規制等に関する措置のほか、その事業活動に伴う汚水又は廃液の公共用水域への排出又は地下への浸透の状況を把握するとともに、当該汚水又は廃液による公共用水域又は地下水の水質の汚濁の防止のために必要な措置を講ずるようにしなければならない。」

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