経団連は11月6日、東京・大手町の経団連会館で経済財政委員会企画部会(伊藤文彦部会長)を開催した。長年にわたり東京大学で経済史の教鞭を執られた明治学院大学の岡崎哲二教授から、「プラス金利の世界への移行~戦後日本の経験」について説明を聴くとともに意見交換した。概要は次のとおり。
■ 統制経済から市場経済へ
第2次世界大戦後の日本では、終戦直後の数年間、高インフレのもとで実質金利がマイナスになった経験がある。戦後の経済復興に向けて、石炭増産を最優先に、傾斜生産に基づく統制経済を続けたが、高率のインフレにも苦しんでいた。その背景には、復興金融金庫という政府系金融機関が復興のために、賃金引き上げ分や公定価格が生産コストを下回った際に発生する赤字分を補填する融資、いわゆる「赤字融資」を実施したことがある。このように、政府が実質的に企業の赤字を肩代わりする状況下では、企業が生産性を向上させるインセンティブは働きにくかった。
しかし、GHQによる対日政策の転換により、1949年4月に「ドッジライン」が採用され、インフレの収束と統制経済から市場経済への移行が推進された。具体的には、実質金利はプラスに転じた。財政均衡、復興金融金庫債の新規発行の停止、補助金と経済統制の廃止、単一為替レートの設定(1ドル=360円)が行われ、これによってインフレが収束し、実質金利はプラスに転じた。
■ 銀行経営の変化
ドッジラインにより、民間銀行の役割も変化した。企業の資金調達の変遷を見ると、戦前は株式、戦時中から終戦直後は復興金融金庫の融資が中心であったが、その後、民間銀行の融資が中心となった。
実際に幾つかの銀行史を読み解くと、民間銀行はドッジライン後、貸金の不良化防止に向けて、採算状況の合理化などを指標として融資審査を強化した。ある大企業のケースでは、銀行団が融資条件として具体的な経営改善を求めるなど、融資先企業の経営に踏み込むことも見られた。
また、終戦後のインフレ時には市場の余剰資金が銀行預金に積み上がったが、インフレ収束に伴い余剰資金が減少し、銀行が預金獲得競争を行うようになった。なお当時は、預金金利規制をはじめとする各種規制があったが、現在はさまざまな規制が緩和されている。そのため、戦後期と比べて現在の方が、預金獲得競争が一層厳しさを増す可能性がある。
■ 企業経営の変化
GHQの政策転換によって、企業経営にも変化が見られた。例えば、石炭鉱業では、公定価格で石炭価格が決まることなども、生産性上昇のインセンティブを阻害した。
しかし、49年9月にGHQが石炭統制の廃止を指示すると、それまで大半を占めていた石炭採掘に無関係な余剰労働者が減少するなど、石炭鉱業の労働生産性は急速に高まった。特に、公定価格が設定されていた時期に停滞していた優良炭坑の生産性は、公定価格の撤廃後に大きく上昇した。他方、市場経済の導入によって競争が促進された結果、倒産リスクの上昇も見られた。
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説明後、金利上昇に伴う国家財政への影響、「成長と分配の好循環」の中小企業や地方への波及に向けた課題、為替水準と内外金利差などについて意見交換した。
あわせて、同企画部会で取りまとめ予定の「『金利のある世界』に関するアンケート調査結果(案)」および報告書「『金利のある世界』と企業行動のあり方(案)」について審議し、了承された。
【経済政策本部】