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会長コメント/スピーチ  会長スピーチ 「成長と分配の好循環」の実現 ~共同通信社きさらぎ会における十倉会長講演~

2023年9月20日(水)
ザ・キャピトルホテル東急 1階「鳳凰」
講演資料はこちら

1.はじめに

ご紹介にあずかりました、経団連会長の十倉です。きさらぎ会という貴重な場にお招きいただきまして、心より御礼申し上げます。

本日は「『成長と分配の好循環』の実現」と題しまして、本年4月に経団連が公表いたしました「サステイナブルな資本主義に向けた好循環の実現」という報告書の内容を中心に、お話させていただきます。

こちら(1ページ)が、本日お話させていただく目次になります。はじめに、私の問題意識について、ご紹介させていただきます。続きまして、報告書の前提となる、マクロ経済環境や中間層の衰退について、お話させていただいた後に、ダイナミックな経済財政運営、全世代型社会保障・税制の構築、労働分野における課題について、それぞれお話させていただき、最後にまとめをさせていただければと存じます。

それでは、早速ですが、はじめに、本日の講演の背後にあります、私の問題意識について、お話させていただきます。

私は、従前より、わが国ひいては世界が直面している課題は大きく二つあると申し上げてまいりました。一つは、気候変動問題に代表される生態系の崩壊、Covid-19のような新興感染症もこれに含まれるかと思います。いま一つは、格差の拡大・固定化・再生産であります。

気候変動問題や新興感染症が、われわれの社会・経済に多大な影響を与えることは、論をまちません。また、格差の問題は、単に経済問題にとどまらず、世界各地で民主主義の危機をもたらし、社会の根幹を大きく揺るがしています。

これに加えて、昨今では、生成AI、バイオゲノムのような破壊的技術が登場し、これらの制御は難しく、われわれが直面する危機は、より一層複雑なものとなっております。

私は、こうした危機の根底には「行き過ぎた株主資本主義・市場原理主義」があるのではないかと考えています。

しかも、これらの危機は一国だけでは解決できず、国際協調が求められます。それにもかかわらず、米中対立はより一層深刻化し、ロシアのウクライナ侵略はいまだ収束の兆しを見せておりません。世界は分断の危機に瀕しているという状況です。こうした現在の危機は、WEF (World Economic Forum) などでは、polycrisis(複合危機)などと呼ばれています。

先日、ドイツの著名な哲学者でありますボン大学のマルクス・ガブリエル教授と対談する機会を得ました。彼は、こうした複合危機を、nested crisis、すなわち、危機が入れ子状態(nested)で複雑系(complexity)を成している、そして、それぞれの危機が相互に因果関係を構成するとおっしゃっていました。私は、非常に的を射た表現だと感じたところであり、今日もnested crisisという言葉を使わせていただきました。

こうした危機を踏まえて、経団連では、先ほど申し上げました2つの重要課題、「生態系の崩壊」と「格差の問題」について提言を発出しております。

まず、気候変動問題や生態系の崩壊につきましては、昨年5月に経団連として「グリーントランスフォーメーション(GX)に向けて」と題した提言を取りまとめました。今年に入りまして、GX関連法が成立するなど、政府におかれては、経団連の提言をしっかりと取り入れていただき、取り組みが具体的に進捗しております。一方で、もう一つの格差の問題につきまして、本年4月に、「サステイナブルな資本主義に向けた好循環の実現」と題する報告書を取りまとめました。この報告書の内容は、経済財政諮問会議をはじめとする政府の会合で説明する機会を得まして、今年6月の「骨太方針2023」では、われわれの主張をかなり反映していただいたと思っております。本日はこちらについて、お話しさせていただければと思います。

ただ、本題に入ります前に、もう少しだけ、GXについてお話させていただきたく思います。報道にもありましたが、今年の夏の暑さは、世界的なもので、EUのコペルニクス気候変動サービスによれば、今年7月の世界の平均気温は、観測史上最高であったそうです。

このグラフ(5ページ)は、過去10万年の地球の気温の変動を表したものでございます。われわれホモ・サピエンスが地上に誕生してから20万年、30万年とも言われますが、われわれ人類は、大きな気候変動の波をくぐりぬけ、約1万年前から始まりました「完新世」と呼ばれる時代において、農耕を開始し、これを基盤に人口を増やしながら文明を発展させてまいりました。人類の文明は、この「完新世」と呼ばれる例外的に気温が一定で安定していた時期に依拠していたのであります。

しかしながら、現在の地球環境は、global warming ではなく、グテーレス国連事務総長によればglobal boilingとさえ言われております。また、地球の平均気温は、間氷期と間氷期の間にあった約12万年ぶりの最高気温を記録したと警鐘をならす研究者もいるくらいです。まさに「地球が悲鳴を上げている」状況であり、気候変動問題への対応は待ったなしで、GXの推進が急がれます。

こちら(6ページ)は、気候変動問題に対する官民のGXに向けた取り組みをまとめたものであります。GX推進に向けた取り組みは、単にわが国における温室効果ガスの削減だけではありません。日本政府は2030年までにGHG(温室効果ガス)の46%の削減、2050年にはカーボンニュートラリティを宣言しております。これは、NDC (Nationally Determined Contribution) と呼ばれ、いわば国際的に日本が行った公約であります。したがって、これは日本国内で行わなければ意味をなさないものであります。国内投資を促し、わが国の成長戦略の要となるものであります。しかも、エネルギー安全保障の観点からも、資源を持たない島国であるわが国にとりまして、極めて重要なものとなります。

昨今の地政学リスクの問題から、食料安全保障や経済安全保障上の重要物資の確保等が指摘されていますが、私自身は、このエネルギー安全保障が、最も深刻であり、最優先で取り組むべき課題であると考えます。食料や重要物資の確保には有志国との連携、フレンドショアリング、が可能ですが、エネルギー、特に電力については、島国の日本は他国から融通してもらう手段がございません。国内での安定・安価な電源確保が急務であります。特に、核エネルギーの利活用に向けて、次世代革新炉の開発等に大胆に開発資金を投入し、開発スケジュールを大幅に前倒しするなど、抜本的に支援を強化しなければなりません。これは、わが国の競争基盤を確保する上でも、必要不可欠なものであります。

さて、話を本日のテーマに戻させていただきます。格差の問題につきまして、本年4月に「サステイナブルな資本主義に向けた好循環の実現」を取りまとめました。この報告書におけるそもそもの問題意識は、「失われた30年」とも言われる、わが国経済の長期低迷をいかに脱するか、という点にあります。そして、この長期低迷は、結果として、わが国の土台となります中間層の衰退をもたらしてきました。

こうした問題を克服するには、「成長と分配の好循環」の実現が必要と考えます。そのためには、マクロ経済政策、社会保障・税制、そして、労働政策、これら三つの政策の柱について、全体感を持って整合的に一体的に進めるべきとしています。これら三つの政策を官民上げて取り組むことで、2030年を目標に「分厚い中間層」の形成を目指すといったものであります。

ここで言う「中間層」とは、経済的な豊かさを実感し、多様なウェルビーイングやそれぞれの希望が叶えられる人々のことを指します。ここでの「希望」とは、たとえば、「結婚や子どもを持つことの希望」が挙げられます。わが国に住まう人々の大部分が、こうした希望を叶えられるような経済・社会を実現したいと考えています。

先ほど、「成長と分配の好循環」に向けて、マクロ経済政策、社会保障・税制、労働政策の三つの政策の柱について、全体感を持って整合的に一体的に進めると申しあげました。このスライド(8ページ)は、それを説明するための図であり、三つの政策の柱がどのように関係するかを示した「相関図」であります。今回の報告書の中で、私が最も強調したい図となります。私自身は、これを「作動図」とも呼んでいます。

三つの政策のそれぞれが、相互に関連しあって、中央左側にある「持続的な経済成長」や、中央右側にある「分厚い中間層の形成」と「構造的な賃金引上げ」を実現し、循環していくことを表しています。

2.マクロ経済環境の低迷と中間層の衰退

次に、三つの政策の柱と、それらの相互関係についてお話しさせていただきますが、その前提として、わが国のマクロ経済環境の低迷と中間層の衰退について、若干お話しさせていただきます。わが国のGDPは1990年代以降、停滞が長期化しております。名目GDP、実質GDPのいずれも伸び悩んでおり、とりわけ名目GDPにつきましては、20世紀のピークである1997年の542兆円を上回るのに、実に約20年も要しました。デフレの長期化・深刻化の証左であり、いわゆる「失われた30年」と呼ばれる日本経済の苦境が如実に表れていると言えます。

「成長と分配の好循環」を実現し、分厚い中間層を形成するには、これまでの長期停滞を克服し、経済を持続的な成長軌道にのせることが求められます。

日本経済の長期停滞の原因については諸説あるかと存じます。浅学の身ながら、このスライド(11ページ)は、その原因について、私なりに整理したものです。日本企業は、30年前のバブル崩壊と、それに続く金融危機によって、債務・設備・雇用の、いわゆる「3つの過剰」の解消に迫られました。信用収縮によって、企業はバランスシートの健全化を迫られ、設備投資を控えるようになり、設備投資の縮小は需要の低下を招き、マクロ経済を下押しすることになったのではないかと思います。リチャード・クー氏の言われる「バランスシート不況」でございます。

こうした状況下で、企業は雇用維持を優先し、賃金を抑制するようになり、雇用者の所得が低迷した結果、個人消費も低迷し、マクロ経済に輪をかけて下押し圧力がかかったと思われます。マクロ経済の低迷は、さらなる設備投資と所得の低迷という悪循環を生みだしていたと考えます。

一方、こうしたマクロ環境のなかで、個々の企業は、生き残りをかけて、合理化を一層進めるとともに、グローバル化の波に乗り、成長の機会を求めて、国内ではなく、海外での投資に注力していきました。その結果、各企業は個別最適を進めながら、日本経済全体としては低迷が長期化するという、いわゆる「合成の誤謬」の状況に陥ってしまったのではないでしょうか。合成の誤謬は、個々の経済主体による最適化の追求、いわゆる部分最適の結果として生じるものです。こうした事態を打破するには、先ほども申し上げました通り、「全体感」を持って整合的で一体的な取り組みが重要になるのではないかと考えます。

「のどの乾いていない馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざがありますように、日本経済の長期低迷に伴い、政府は各種の規制緩和策を準備いたしましたが、国内の民間設備投資は低位で推移しました。

一方で、日本企業は、低迷する国内ではなく、成長と投資の機会を海外に求めるようになりました。その結果、対外直接投資残高は拡大し、右側のグラフ(12ページ)にありますように、直近の2022年度は200兆円を超えており、平均して毎年8兆円ほど積み上がってきたことになります。

しかしながら、わが国経済の成長、すなわちGDPの成長には、言うまでもなく、国内投資の拡大が必要です。国内投資の拡大に向けて、官民連携により、成長機会の創出が求められます。同時に、昨今の国際情勢下では、経済安全保障が重視されるようになり、従来のグローバル化一辺倒という状況ではなくなったように思います。重要物資の確保、サプライチェーンの強靭化等、国内で投資することの重要性に注目が集まっています。

国内投資の低迷とともに、家計の所得も低下しています。左下のグラフ(13ページ)をご覧ください。2019年の世帯所得は1994年と比較すると、中央値が500万円から370万円と、130万円ほど低下しています。年代別に見ても、中央と右側のグラフにありますように、35歳から54歳の、いわゆる「働き盛り」の年代で見ても、所得の高い層が減少し、逆に所得の低い層は増加いたしました。この年代は、働き盛りであるとともに、結婚や出産・育児といった重要なライフイベントの時期とも重なります。

こうした世代にとって、自分の希望するライフプランを実現することが困難になっているのではないかと危惧しております。所得減少の要因につきましては、賃金の上昇が弱かったことに加え、社会保険料率の引上げも影響を及ぼしていると考えられます。

こうした現状からも、現役世代の家計の所得の上昇や、結婚・出産・育児といったライフイベントを支えるためには、「分厚い中間層」の形成が求められているのではないでしょうか。

まとめとして、経済運営によるパラダイムシフトについて若干説明したいと思います。先ほど「失われた30年」と一言で申し上げましたが、もちろん、わが国のマクロ経済環境は、それほど単純なものではないと思います。危機的な状況に陥ったこともあり、その時々の情勢に応じて、様々な政策が打たれてきたとろころです。

その代表例は、アベノミクスであり、もはやデフレではない状況にまで、わが国経済を押し上げることに成功いたしました。これからは、更に進んで、長期低迷を打破することが求められます。先ほどの経済安全保障の観点のように、経済運営に関して、足元では、従来の考えから、新しい政策へと向かいつつあると感じております。

例えば、この表(14ページ)の左側の一番上にありますように、株主資本主義や市場原理主義といわれるような考え方は、右の表のように、社会課題の解決と持続的な経済成長の両立を目指す、経団連のサステイナブルな資本主義のような考えに転換しつつあります。

また、分配政策は、経済成長によるトリクルダウンが志向されておりましたが、残念ながら、トリクルダウンは起こりませんでした。この現状に鑑みれば、これまでの発想を切り替え、分厚い中間層の形成による底上げを目指す必要があると考えます。減税や規制緩和を重視した「サプライサイド・エコノミクス」は、これに加えて、社会課題の解決を重視した政府による国内投資の拡充も重視する「モダン・サプライサイド・エコノミクス」の考え方が、世界各国で強く認識されるようになっています。

グローバル化につきましても、厳しい国際情勢のもと「自由で開かれた国際経済秩序」の再構築は引き続き極めて重要でありますが、同時に、経済安全保障への配慮も求められています。

さらに、表の左側の一番下にございますように、企業はコスト削減に迫られてきましたが、中小企業を含めた取引価格の適正化、賃金引上げのモメンタムの維持・強化等、新たな方向に舵を切りつつあります。

3.官民連携によるダイナミックな経済財政運営

三つの政策の柱の一つ目に挙げました「マクロ経済政策」について、お話いたします。目指すべきマクロ経済政策のあり方として、「官民連携によるダイナミックな経済財政運営」を掲げております。

われわれが「官民連携によるダイナミックな経済財政運営」と呼んでおりますのは、政府と企業が協力して、中長期の時間軸で投資の動きを考えていこうというものであります。今後、政府は、これまでの予算の単年度主義を排して、社会課題の解決に資する重要な戦略分野に中長期で計画的な投資を行い、民間の投資環境を改善させる必要があります。これに応じて、企業は、積極的に国内投資と賃金引上げを行います。

このグラフ(16ページ)は、政府と企業の資金の過不足を示したもので、「ダイナミックな経済財政運営」によって、グラフ右側の青い点線のように、企業は貯蓄超過から投資超過へと転換する一方、持続的な経済成長により、税収は増加し、オレンジの点線のように、財政は健全化へと向かうと考えております。

ダイナミックな経済財政運営は、近年注目を集めているモダン・サプライサイド・エコノミクス(MSSE)と同様の内容であると考えます。

モダン・サプライサイド・エコノミクスとは、米国のイエレン財務長官が提唱したものですが、従来のサプライサイド・エコノミクスにおける規制緩和や減税等に加えて、社会課題の解決にターゲットを絞った政府支出を通じ、民間投資の促進を目指す経済政策であります。

モダン・サプライサイド・エコノミクスでは、長期計画に基づき、複数年にわたって、政府が財政支出をコミットすることで、企業の予見可能性を高め、継続的な国内投資を促し、官民連携を推進いたします。結果として、国内投資は拡大し、持続的な経済成長を実現して、中長期的な財政均衡も達成されます。

モダン・サプライサイド・エコノミクスは、ダイナミックな経済財政運営と同様の考え方であり、こうしたマクロ経済運営のあり方は日本に限らず、世界的な潮流になりつつあると考えています。

ダイナミックな経済財政運営にせよ、モダン・サプライサイド・エコノミクスにせよ、ポイントの一つは、中長期の時間軸で計画的に行う政府投資にあります。しかし、残念なことに、わが国では、予算単年度主義のもと、財政規律を維持しようと努力しながら、結局のところ、補正予算による逐次的な財政投入が常態化している状況にあります。下の二つのグラフ(18ページ)は、左側は科学技術関係予算、右側は公共事業予算の推移を示しております。オレンジ色で示した補正予算が、毎年のように計上されています。本来、科学技術の振興やインフラの整備というものは、景気と関係なく、中長期の計画に基づいて、当初予算で着実に措置すべきと考えます。

では、中長期の時間軸で、政府投資を行うべき重要分野とは、どういった分野になるでしょうか。現在の地球温暖化、格差の拡大の原因は市場の失敗であります。しかし、われわれが注意しなければならないのは、過去には政府の市場介入による政府の失敗もあったということであります。したがいまして、一点目に社会課題の解決に向けて民間のみでは実現困難な先行きが不透明で予見可能性が低い分野、二点目に社会インフラの整備、三点目に経済安全保障にかかわる分野等を中心に、科学技術・イノベーション投資に注力していくべきと考えています。

具体的には、グリーン、デジタル、バイオ・ライフサイエンス、そして、それらを支える先端素材・材料を重要な戦略分野として位置付けるべきと考えます。こうした分野に対し、研究開発も含めて中長期的な政府投資を行う等、様々な政策資源を大胆に投じることが必要であります。ただし、主役はあくまでも民間投資であります。呼び水としての政府の投資、これを考える必要があると存じます。

投資分野の中でも、グリーン分野は特に重要であります。先ほども申し上げましたように、気候変動問題は待ったなしの状況であります。GX推進に向けた取り組みは、単にわが国における温室効果ガスの削減に貢献するだけではありません。これは国内で行わなければ、意味をなさないものであり、したがって、国内投資を促し、わが国の成長戦略の要となるものでもあります。成長戦略の要にしなければならないものであります。エネルギー安全保障の観点からも、資源を持たない島国であるわが国にとりまして極めて重要なものであります。

そして、2050年カーボンニュートラルという極めて高い目標の達成には、イノベーション、現在にないイノベーティブな技術開発が不可欠であり、民間のみでは困難であります。官が取り組むべきインフラ整備とあわせて、先行して取り組みを進め、企業の予見可能性を高めて、民間投資を活性化し、引き出すことが求められます。

政府は「GX経済移行債」を通じて今後10年間20兆円の先行投資を行い、また、7月に閣議決定された「GX推進戦略」では、官民合わせまして10年間で150兆円超の投資実現に向け、具体的な投資分野が示されました。こうしたGX推進に向けた官民連携での取り組みは、モダン・サプライサイド・エコノミクスのモデルケースであると考えます。

官民を挙げたGX投資の加速のほかにも、デジタルトランスフォーメーション(DX)や各種イノベーションの実現に向け、国内投資を活発化させていく必要があります。本年4月の政府会合では、こちらのグラフで民間設備投資額の見通しを示し、2027年度には115兆円を目指すと申し上げました。投資額は、コロナ禍でいったん落ち込んでいたものの、足元で大きく伸びてきており、今年度は初めて100兆円を超える見通しであります。

民間投資の拡大は、わが国経済の持続的な成長に欠かせないものであり、われわれ企業は、政府の各種の政策に呼応しながら、積極的に進めていくことが求められます。分厚い中間層の形成に向けては、投資の拡大に加えて、人への投資の拡大も求められます。特に、大企業だけでなく、中小企業も含めた国全体での賃金の引上げが重要となります。

そこで、大企業にとっては、自社の分配構造において、人件費、営業純益、中間投入費、つまり中小企業への支払いでありますが、これらのバランスを見直すことが課題となります。その一方で、中小企業においても、賃金引上げの原資が行き渡るよう取引価格の適正化を図る必要があります。そのための取り組みとして「パートナーシップ構築宣言」を推進し、サプライチェーン全体での共存共栄を目指していく必要があります。経団連では、会員企業に対し、この「パートナーシップ構築宣言」への参加を強く働きかけております。

4.公正・公平で安心な全世代型社会保障・税制の構築

続いて、三つの政策の柱の二つ目、「社会保障・税制」についてお話いたします。目指すべきは、公正・公平で安心な全世代型社会保障・税制の構築であります。「成長と分配の好循環」の実現には、先ほど申し上げましたダイナミックな経済財政運営を通じて得られた成長の果実を着実に分配につなげ、更に次の成長につなげていくことが肝要です。

国民の安心につながる全世代型社会保障制度の構築は不可欠であります。制度構築に向けた基本的な方向性としては、「公正・公平な仕組み」のもとで、適切な給付と負担を実現していくことと考えます。

そのためには、マイナンバーやDXを徹底活用し、医療・介護給付の適正化や健康増進の取り組みも進めていかなければなりません。加えて、公正・公平な負担、働き方に中立な制度の実現も求められます。

なぜ、今、全世代型社会保障制度の構築が求められるのでしょうか。これ(25ページ)は「現在より将来の備えを重視する割合」を、年代別に表したグラフになります。10年ごとに三つの柱が並んでいます。この20年の間で、特に若い世代を中心に残念ながらこのグラフは大きく上昇しています。このグラフには載っていませんが、貯蓄性向を見ても、若い世代ほど老齢世代より数値が高くなっており、10ポイントから15ポイントほど差があります。

「失われた30年」を通じて、若い世代を中心に多くの国民が将来不安を抱えていると言わざるを得ない状況です。これでは、「分厚い中間層」を目指して、構造的な賃金引上げを実現しても、個人消費の拡大にはつながらないと考えます。したがって、全世代型社会保障制度・税制の改革を通じて、将来不安の払しょくに努めなければなりません。

全世代型社会保障制度の構築に向けては、「適切な負担」と「働き方に中立な制度」の2点が重要となります。「適切な負担」につきましては、現在の社会保障制度の主たる財源は、社会保険料が中心となっております。これは、現役世代の稼働所得に負担が偏重することとなり、その結果、賃金を引上げても、保険料の引上げで、その効果が抑制されてしまっていると考えます。今後の適切な負担を考えるには、社会保険だけでなく、公費、税制も含めた財源のベストミックスを考えていくべきです。

また、こうした負担の議論の前提として、マイナンバーの徹底活用を通じ、年代を問わず、資産を含めた負担能力の正確な把握が求められます。一方で、働き方に中立な制度につきましては、いわゆる「年収の壁」への対応が求められます。本来であれば、一生懸命働いて所得を得ようとする意欲のある人が、あえて、負担の大小を理由に働き方をセーブすることは決して望ましいこととは思いません。

「年収の壁」への対応の本質は、社会保障制度は「保険」であるということを広く認識いただくことにあると考えます。つまり、保険に加入することで、働く人の安心を確保し、いざという時に適切な給付を受けられるというメリットを感じてもらうことが、一番の基礎だと思います。もちろん、制度の見直しを通じて「年収の壁」の段差を縮小していくことも極めて重要となります。

さらに、社会保障に関する議論のなかで、昨今は少子化対策に注目が集まっております。少子高齢化は、人口減少と相まって、わが国にとって「静かなる有事」と呼ばれる重要な問題であります。

これ(27ページ)は50歳を基準とした人口構成の推移を表したグラフです。グラフの赤い線の上が50歳以上、下が50歳未満となります。戦後初期では50歳未満の若い世代が8割を超えていましたが、その後、少子高齢化が進み、足元では50歳未満と50歳以上の人口割合がほぼ等しくなっています。今後も、このトレンドは続きますが、21世紀後半になりますと、50歳以上が6割程度のところで頭打ちになると見込まれています。

現在の社会保障制度は、若い世代の割合が高かった1960年代から80年代にかけて作られました。当時、65歳以上の人口比率は、10%程度であったものが、現在はその3倍の30%、2040年代には35%を超えることが見込まれています。今後の少子化対策の議論は、中長期的な観点から、来るべき21世紀型の人口構成を念頭に、持続可能な全世代型社会保障の構築に向けた議論のなかで行うことが必要と思います。

このグラフ(27ページ)を逆さまにして見てみて下さい。かつて、高齢者を現役世代と若年世代が支えていた人口構成は、若年世代を現役世代と高齢者が支える構成になっていることが見て取れます。今後の議論には、こうした柔軟な発想が求められているのではないでしょうか。

こちら(28ページ)は、ご参考として、6月に閣議決定された「こども未来戦略方針」の内容を示しております。少子化の問題は、わが国の社会経済の根幹に関わる極めて重要な課題です。将来不安から子どもを持ちたくても持てない方がいる状況は、是非とも回避しなければなりません。したがって、「こども未来戦略方針」で打ち出されたように、迅速に施策を展開することは、もちろん重要です。それと同時に、「次元の異なる少子化対策」に向けて、先ほども申し上げたように、公正・公平な全世代型社会保障制度の構築とセットで、より抜本的かつ大胆に少子化対策を講じるべきと考えます。

こちら(29ページ)は、各国の出生率の国際比較をしたグラフです。少子化は国が豊かになれば避けては通れない道であります。新興国のインドですら、出生率は低下しています。それでも、日本の出生率を見ますと、欧米各国と比較すると低い状況にあると言わざるを得ません。日本と同様に低い国は、他に二つあります。東アジアの中国と韓国であります。

少子化の原因として、中国、韓国に共通して挙げられるのは、大学入試競争を背景にした、過剰な教育熱とそれに伴う教育費の増加があるかと存じます。わが国におきましても、高い教育コストは、少子化の原因の一つと言えるのではないかと思います。

公正・公平という観点からは、能力に応じて負担する、すなわち「応能負担」の原則が重要になります。そして、負担能力につきましては、所得だけでなく、財産も見て判断していくべきだと考えています。例えば、資産のうち、金融資産については、家計の保有額が2,000兆円を超えました。そこから負債を除いた純金融資産は約1,600兆円にも上ります。このうち22.3%が、保有額1億円以上の富裕層によって保有されていることになります。この富裕層は、2021年時点で約149万世帯、全体の2.7%で、しかも、富裕層の世帯数は増加傾向にあります。上から2.7%の世帯が22%強の資産を保有し、その一つ下の層(純金融資産保有額3,000万円~1億円の世帯)も含めれば、上から約22%の世帯が、約6割、59%の純金融資産を保有するという状況にあります。公正・公平、応能負担という観点からは、こうした「資産」に着目した負担のあり方も考えていくべきと考えます。

5.労働分野における課題

三つの政策の柱のうち、最後の柱であります労働政策について、お話いたします。申し上げるまでもなく、「成長と分配の好循環」には、構造的な賃金引上げが欠かせません。本年の春季労使交渉では、皆様方のご尽力により、月例賃金の引上げ率が3.99%、額にして1万3300円強と、バブル期以来、約30年ぶりの高い水準となりました。構造的な賃金引上げに向けて、このモメンタムを、来年以降も継続させることが肝要であります。

構造的な賃金引上げの実現には、「円滑な労働移動」と「ダイナミックな経済財政運営」の両方が必要となります。こちら(32ページ)の図をご覧いただくと、まず「ダイナミックな経済財政運営」による良好なマクロ環境のもと、企業は人材の確保・定着に向けて賃金引上げなど処遇の改善を行い、これに「円滑な労働移動」が加わり、労働者の確保に向けた企業間競争が起き、産業の新陳代謝も進む。その結果、マクロレベルで構造的な賃金引上げが実現し、家計の所得が増え、消費が拡大し、さらに一段とマクロ経済環境が改善する。こうしたサイクルを通じて、「成長と分配の好循環」が形成されていくと考えます。

先ほど申し上げました「円滑な労働移動」に向けて、政府と企業がそれぞれ取り組みを加速する必要があります。政府には、リスキリングを含むリカレント教育への支援や、雇用のマッチング機能の強化、雇用のセーフティネットを「雇用維持型」から「労働移動推進型」へと移行することが求められます。他方、企業においては「人への投資」の一環として、リスキリングのための支援制度の導入・拡充など、働く人の能力、すなわち、エンプロイアビリティの向上を促進します。

加えて、様々な能力やスキル、価値観を有した多様な人材の活躍を促す観点から、経験者採用はもちろん、退職した元社員を再度雇用するカムバック・アルムナイ採用など採用方法の多様化をさらに進めます。また、「ジョブ型雇用」の導入・検討が、大企業を中心に進められています。経団連では、引き続き「ジョブ型雇用」の導入・活用の検討とともに、メンバーシップ型雇用のメリットも活かしながら、各企業にとって最適な「自社型雇用システム」の確立を呼びかけてまいります。

構造的な賃金引上げや円滑な労働移動のほかにも、企業は働き方改革を進めるとともに、仕事と子育て、仕事と介護などの両立支援に取り組む必要があります。働き方改革につきましては、フレックスタイム制やテレワークなどの柔軟な働き方の拡充、業務の効率化・自動化を推進する必要があります。

また、男女がともに、仕事と育児などとを両立できる職場環境の整備が求められます。男性の家事・育児の促進は喫緊の課題であります。とくに男性の育児休業については、政府が掲げる取得率目標の達成だけでなく、男女が真のイコールパートナーとして家事・育児を実質的に担うには、単に取得率ではなく、十分な日数取得に挑戦すべきと考えます。

ただ、日本の夫婦の家事・育児の時間の状況を見ますと、残念ながら、イコールパートナーとは程遠い状況にあると考えます。左側のグラフ(35ページ)は、家事・育児の時間について、国際比較を行ったものであります。日本の場合、女性の家事・育児の時間は男性の5.5倍もあり、2倍を切っている欧米とは大きな差があります。その背景の一つとして、右側のグラフ(35ページ)のように、日本男性の勤務時間の長さがあると考えられます。家庭内の男女がイコールパートナーとなるためには、企業の働き方改革や両立支援といった取り組みが極めて重要でございます。

6.まとめ

成長と分配の好循環を実現し、分厚い中間層を形成するための政策として、マクロ経済政策、社会保障・税制、労働政策の三つの柱について、お話しをさせていただきました。本日のお話のまとめとして、それぞれの政策の関係性について、今一度全体を俯瞰する形でご説明したいと思います。

これ(37ページ)は、冒頭示した、成長と分配の好循環の相関図になります。図の上のマクロ経済政策につきましては、官民連携による「ダイナミックな経済財政運営」を通じて、企業による国内設備投資や研究開発投資を増加させ、経済成長を促します。左下の社会保障・税制については、公正・公平な制度により、国民の将来不安を払拭することで個人消費の増加を促します。右下の労働政策では、足元の賃金引上げのモメンタムを今後とも維持・強化するとともに、働き方改革や雇用のセーフティネットの見直し、リスキリング・学び直しを通じて、労働移動・労働参加を促し、構造的な賃金引上げを実現します。

構造的な賃金引上げにより、家計の所得は改善し、個人消費はさらに増加、経済成長を促し、それが賃金引上げにつながっていくという好循環が実現し、分厚い中間層の形成につながります。また、成長と分配の好循環の実現は、税収の増加により財政の安定に貢献することともなります。

さらに、少子化対策にとっても重要となります。家計の所得環境の改善に加え、企業による働き方改革や両立支援も組み合わさることで、若者の結婚や子どもを持つことへの希望が叶えられることに貢献いたします。少子化は静かなる有事。大きな危機が見えているのに有効な手段を講じられない、いわゆるブラックエレファントに例えられます。GX、少子化対策は待ったなしであります。全世代型社会保障制度の構築を通じて将来不安をなくし、家計所得環境の改善に加え、企業には働き方改革、これらを組み合わせることによって少子化対策を一刻も早くすべきと考えます。

4月に公表した報告書「サステイナブルな資本主義に向けた好循環の実現」は、先ほども申し上げましたように、格差の問題に対して分厚い中間層の形成を目指すべきという考え方のもと、検討をスタートいたしました。しかしながら、検討を重ねるうちに、問題の本質は、わが国経済の長期停滞をいかに克服するのかという点にあると思いに至りました。われわれは、こうした「経済」の問題を、どうしても市場原理だけで解決しようとしてしまいますが、現実に目を向ければ、それだけで、すべてを解決できるわけではありません。

私は、経団連会長に就任してから「社会性の視座」の重要性を強調してまいりました。わが国経済の長期停滞を克服し、「成長と分配の好循環」を実現するには、自由で活発な競争、効率的な資源配分、イノベーションの創出を重視する市場原理の考え方は、もちろん重要で、われわれの経済活動の大前提であります。しかしながら、社会・経済の現実に目を向ければ、市場原理だけでは割り切れない、公正・公平といった価値判断も含む「社会性の視座」を持つことも、極めて重要であります。そこで、本日ご説明してきたように、経済政策だけでなく、社会保障制度や労働政策も含めて、全体感を持って一体的に取り組むことの重要性を強調しているところであります。

引き続き、われわれ経団連は、経済政策から社会政策まで幅広い分野を網羅する総合経済団体として「社会性の視座」をもって、正論を発信し続けてまいりたいと思います。

以上で私のプレゼンを終わらせていただきます。本日はご清聴誠にありがとうございました。

以上

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