経団連知的財産委員会企画部会
経団連は、本報告書(案)作成のための特許庁での審議プロセス全体について、大きな問題があったと考えている。とりわけ、2019年通常国会での法改正ありきの極めてタイトなスケジュールで検討を進めたために産業界等の関係者との合意形成が不十分であった点、日本知的財産協会や経団連など知財制度についての産業界の意見を取りまとめる立場の団体からの委員への参加が認められなかった点#1は、極めて遺憾である。
今回の検討を通じて、制度の中身については一定の検討がなされたが、その前提となる立法事実や現状分析が極めて不十分である。また、制度の内容も、産業界の懸念に十分応えられていない点や、検討が不十分な点も多い。本報告書(案)において法改正が想定されている「新たな証拠収集手続」や「損害賠償算定方法の見直し」は、喫緊に対応すべき課題とも考えられない。特許庁においては、2019年通常国会での法改正にこだわることなく、パブコメに出される意見等も真摯に受け止め、産業界等の関係者の懸念を解消すべく更なる検討を続けることを望む。
以下、特に懸念の大きい事項と、その他の懸念に分けて記載する。
1.特に懸念を持っている事項
(1)法改正を急ぐに足る立法事実はない。(p1~6)
証拠収集手続の強化については、2017年3月の特許制度小委員会報告書で、インカメラ手続の導入等が提言され、2018年の法改正で実現したが、未だ法執行さえなされていない状況である。本報告書案においては、インカメラ手続等の効果が分かるのを待たずしてまで「新たな証拠収集手続」を導入する説得的かつ十分な理由は記載されておらず#2、記載されている事実関係にも誤認がある#3。
そもそも、法改正の効果を見極めることなく、更なる法改正を行うことには問題が大きい。今回、法改正が行われ「新たな証拠収集手続」が導入されたとしても、その効果を見極める前に、更なる法改正を積み重ねるといったことは厳に慎むべきである。報告書においては、「法改正に当たっては、制度改正の効果を見極める期間を十分に取る。効果を見極めるまでは、証拠収集手続の強化について新たな立法を行わない」旨を明記すべきである#4。
(2)外国の制度の安易なつまみ食いは、わが国の国益を害する。(p1~3、p6~9、p21、p23~26)
「新たな証拠収集手続」を導入する根拠として「諸外国の制度動向」が掲げられ、報告書案で相当のページ数を費やして記載されているが、諸外国の制度の概要を紹介するのが主眼に置かれ、制度導入に至る背景や現在の評価についての記載はほとんど無い。諸外国の動向を記載する場合には、導入に至った背景や導入後の評価を含めて分析すべきである。
そうした丁寧な分析も無しに、「諸外国で導入された」ことをもって安易にわが国でも導入を検討すべきとも読める論理構成は、わが国の国益を毀損する可能性があり、わが国政府の文書としては客観的に見ても問題が大きい。「諸外国の制度動向」は、制度改正すべきかを検討する上での考慮要素の1つに過ぎず、最終的には、わが国の知財政策・戦略の方向性やどのような立法事実があるか等により制度改正の要否を判断する必要があることから、「諸外国で導入された」ことをもってわが国でも導入を検討するという誤解を生む表現は改めるべきである#5。
なお、報告書案では、懲罰的賠償制度や二段階訴訟制度についても、米国やドイツ等諸外国での導入実績について言及されているが、今後、諸外国で導入されていることをもって、導入を前提とした議論を行わないよう強く要望する。
(3)営業秘密漏洩の懸念を払拭することが、「新たな証拠収集手続」導入の大前提である。(p14)
営業秘密はわが国企業の競争力の源泉であり、「新たな証拠収集手続」の制度設計においても、営業秘密保護は最大限尊重されるべきである。この点、報告書案によれば、新たな証拠収集手続の制度設計において、黒塗り前の報告書を申立人側に開示する余地が残されているが、競合の申立人本人に相手方の企業秘密が開示されることは、相手方の競争力を毀損することにつながることから、申立人本人への開示は絶対に避けるべきである。また、立証の必要性の判断を経ていない段階での黒塗り前の報告書を申立人に開示することは、「相手方が立証されるべき事実を認めて非開示とする」選択肢を事実上無意味にしてしまう。営業秘密保護は本制度導入に当たっての前提条件であり、営業秘密漏洩の懸念が払拭されない状況では、本制度の拙速な導入を見送り、代理人の設置を強制する仕組みを含め継続的な検討を行うことが妥当である。
(4)懲罰的賠償制度・利益吐き出し型賠償制度の、導入ありきでの検討には反対。(p21~22)
「懲罰的賠償制度」については、小委員会でも制度の導入に反対する意見が相当数を占めており、「引き続き議論を深めていくべき」との評価は適切ではない。そもそも、最高裁判決が公序を理由に懲罰賠償の国内執行を否定している現状において、「メリット・デメリット」によって導入の是非を判断することは安易に過ぎ、不適切である。したがって、「このため…引き続き議論を深めていくべき」の一文は削除すべきである。
「利益吐き出し型賠償制度」についても、填補賠償という民法の大原則を変更するものであり、特許訴訟において侵害訴訟が悪質かどうかといった問題に焦点が当てられ、徒に特許侵害への処罰感情を煽る結果を招来しかねない。検討を行う場合にも、導入前提ではなく、強い懸念の声を十分に意識して、極めて慎重に対応すべきである。
(5)二段階訴訟制度導入を求める意見はほとんどない。(p23~26)
「二段階訴訟制度」について、意義として掲げられた早期差止めについては、現状でも仮処分申請の手段がある。また、法定内外を問わず、知財紛争における交渉が、権利の安定性および金銭的条件など複数の論点を総合的に論じ、個々で互譲して和解に至る実情を踏まえると、二段階訴訟制度のもとで特許の有効性の判断が出た後で金銭的和解(損害賠償額)のみの交渉を行うことは、当事者双方に納得性のある条件に至ることに資するとは考えられない。
今回の検討を通じて、二段階訴訟についての立法を行う意義が見出せないことが分かったことから、これ以上の検討はもはや不要である。ニーズや立法事実がほとんど無い中で、徒に知財司法制度を混乱させるような検討を続けるべきではなく、「こうした議論の状況を踏まえ…、引き続き議論を深めていくべきである」の一文は削除すべきである。
2.その他の懸念事項
(1)新たな証拠収集手続の実施主体(専門家)について(p11)
報告書案では、専門家は、裁判所が公正中立な第三者を指定することとしており、裁判所が指定した専門家について当事者が異議を申し立てることが出来る忌避、忌避の却下決定に対する不服申立て(即時抗告)の仕組みが提案されている。しかしながら、実際には、当事者は、専門家の専門性について判断することはできるが、その者が営業秘密を漏らす蓋然性が高いかどうかまでは、判別がつかない。また、専門家には営業秘密保持義務があり、漏らした場合に刑事罰が適用されるといっても、営業秘密保持の意識が高い者でなければ、うっかり営業秘密を漏らす可能性は否定できない。よって、<関連する意見>にあるように、専門家の属性としては、もともと秘密保持義務がかかっており、その義務違反があった場合に剥奪されるような資格を有する者(弁護士・弁理士 等)に限定すべきである。
(2)新たな証拠収集手続の費用負担について(p15)
新たな証拠収集手続は、申立人が求める証拠を収集するものであり、相手方に発生するサンプルの提供に係る費用等については、申立人の負担とすることが相当である。相手方負担を原則とする場合でも、想定外に高額な負担が生じる可能性があるとの前提に立って、一定の場合には申立人の負担とする途を設けるべきである。
また、専門家に関する費用についても、新たな証拠収集手続が申立人の求めに応じて証拠を収集する手続であることを踏まえると、敗訴者負担とするのは違和感があり、申立人の負担とすることが相当である。
(3)特許法第102条第1項で覆滅された部分の相当実施料;特許法以外の産業財産法への適用について(p19)
特許法以外の他の産業財産権法(実用新案法、意匠法、商標法)について、同様の措置とする方向性が示されたが、今回の法改正の検討の前提である「特許権侵害の特殊性」(①侵害の容易性、②立証の困難性、③侵害抑止の困難性)が、他の産業財産権法に必ずしも当てはまるのかが検証されていないにもかかわらず、知財4法を同等に扱うべきとの形式論だけで実質的な議論のないままに法改正を進めるべきではない。商標制度小委員会等の適切な場で議論した上で、結論を得るのが相当である。
(4)特許法第102条第3項の考慮要素の明確化について(p19~21)
報告書案では、増額にのみ働くと考えられる考慮要素として、「有効な特許が侵害されたことが認定されていること」「特許権者による実施許諾の判断機会の喪失」などが掲げられているが、報告書案のように一律に増額方向に働くと断定することはできないと考えられることから#6、かかる内容を法制化するのは適切ではない。
なお、ドイツにおいて相当実施料額を2倍とする立法提案があったとする記載について、本立法提案は否決されたものであり、その否決理由を示さないままに増額の根拠として提示するのは極めて不適切であり、削除することが相当である。
- 小委員会の委員構成を変更して新たな検討を始めることについて、小委員会の上部組織(産業構造審議会・同知的財産分科会)に何らの説明も無かったことは、ガバナンス上も問題があると考えられる。
- 報告書p1の「Ⅰ-1.特許権侵害の特殊性」やp4の「Ⅱ.知財紛争処理を巡る課題」等立法事実らしき記載はあるが、一般的な記載や、従来からの検討でも考慮されてきた内容に過ぎない。また、「Ⅱ.知財紛争処理を巡る課題」において、「~の声も聞かれる」「~の声もある」との記載が多く見受けられるが、こうした抽象的で茫漠とした記載は適当ではなく、具体的にどの様な主体からどれほどの声が上がっているのか、どれほど深刻なのか等を、具体的に記述すべきである。
- p5~6の「Ⅲ-1-(1)」に、ソフトウェア特許訴訟において、現状の書類提出命令のみでは十分な証拠収集が難しい旨の記載があるが、ソフトウェアの特許侵害を認定するためには、設計書やソースコード(その改変履歴に関する資料)の書類提出で十分であり、新たな証拠収集手続導入の立法事実として記載するのは適当ではない。ソースコードが膨大であることによる解析の困難性は、当事者の主張・立証能力の問題であり、専門家を用いて援助を求めるのが相当で、今回の新たな証拠収集手続を経る必然性は無い。
- 損害賠償算定方法の見直しも同様であり、今回法改正が行われた場合でも、その効果を見極めるまでは新たな立法を行うべきではない。
- 例えば、報告書p5の「…その後の諸外国における知財訴訟制度の見直しの動向を踏まえつつ、産業構造の変化に不断に対応するため、証拠収集手続の強化に向けた議論を行う必要性が高まっている」との記載は、削除すべきである。
- 例えば、「有効な特許が侵害されていること」が認定されているといっても、侵害訴訟の過程で特許請求の範囲が縮減されていることも考えられ、一概に増額に働くとは断定できない。また、「特許権者による実施許諾の判断機会の喪失」といった要素も挙げられているが、特許の有効性、抵触性の判断には高度な法的、技術的判断を伴うことから、権利者による特許の解釈が必ずしも正しいとは限らず、直ちに実施許諾の判断機会が喪失されたとは言い得ない場合もあり、一概に増額に働くとは断定できない。