経団連会長・訪欧ミッション団長
米倉弘昌
わが国が東日本大震災から復旧・復興を果たし、持続的な発展に向けて再生を遂げるためには、経済連携協定の締結等を通じた諸外国・地域との貿易・投資関係の一層の拡大・強化が不可欠である。その際、最も重要なパートナーのひとつがEUであり、経団連は予てEUとの経済連携協定(FTA/EPA)の締結を国内外で働きかけてきた。
債務危機と景気低迷の最中にあるEUにおいても、成長戦略の一環として域外貿易促進の重要性が改めて認識されつつあり、さる7月、欧州委員会は、日本とのFTA/EPA締結は、EUの成長と雇用に大いに寄与するとして、交渉開始について加盟国に承認を求めることを決定した。
そこで、EU加盟国による交渉開始をめぐる議論が佳境を迎えている今般、10月11日~18日の日程で渡 審議員会議長、渡辺、勝俣、大塚、奥、荻田、中村の各副会長とともにEUならびに主要加盟国であるドイツ、フランス、イギリスの政府・経済界首脳らを訪問した。FTA/EPAを通じて日・EU間にwin-winの関係を構築すべく、経団連として促進してきた業界対話の進展などを報告するとともに、改めてFTA/EPAの意義を説明し、速やかな交渉開始を働きかけた。また、欧州債務危機の現状と見通しについて、政治・経済界指導者や政策担当者、識者の謦咳に触れた。それらを踏まえ、以下、ミッション団長として所見を申し述べたい。
I.日・EU FTA/EPA
1.日・EU FTA/EPAの意義
各訪問先では、日・EU FTA/EPAの意義として次の点を訴えた。個別業界・企業の事例を含めた経団連側の説明に対して、熱心に耳を傾ける場面も多く、相当程度、理解が得られたものと考える。
(1) 直接投資等を通じたEU経済への貢献
EU経済の停滞に伴い日本の対EU輸出が減少傾向にある一方、EUへの直接投資は増加傾向にあり、日本企業が「市場があるところで生産する」といった考え方に基づいて、EUに生産・研究開発拠点等を設置し、雇用(2010年度における日本企業のEU現地法人の常時従業者数は約47万人)や部品調達等を通じてEU経済に貢献していることを説明した。その上で、日・EU FTA/EPAが締結されれば、EUを拠点としてより効率の高いサプライチェーンを構築することが可能となることから、投資先としてのEUの魅力が更に増し、投資の拡大、雇用機会の創出、産業協力を通じたイノベーションの創出の可能性が高まると強調した。(2) 第三国市場におけるビジネス機会の創出
本年3月、ビジネスヨーロッパと協力して、日欧双方の業界団体による業界対話会合を開催した。その成果の一つは、各業界が共通して抱える課題である製品の規格・基準の調和・相互承認について、政府に対して具体的な改善を求めていく必要性で一致したことである。新しい規格・基準やルールづくりを何れの国とどのような形で進めるかは、企業がグローバル市場で勝ち残る上で非常に重要な意味を持っている。共通の価値観を有し、高い技術水準を誇る日本とEUこそ、そのようなパートナーとして相応しい。今次ミッションでは、日・EU FTA/EPAを基盤に新興国を含めた第三国市場への展開も視野に入れて、ビジネス・ルール、規格・基準の調和等を進めることによって新たなビジネス機会が創出される可能性を強調した。バローゾ欧州委員長も、日・EU間の協定は両地域を超えて世界に向けてメッセージを発信することになるとして、日・EU・米のそれぞれの間でのより高いレベルのルール作りの必要性に言及していた。(3) アジア太平洋地域における経済連携
経団連として、アジア太平洋地域においても経済連携、即ち、2020年にアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を実現することを目指して、環太平洋経済連携(TPP)協定交渉への参加を働きかけるとともに、日中韓FTAならびにASEAN+6を含む東アジア地域包括的経済連携(RCEP)を推進していることを説明した。ブリュッセルでは、官民双方からTPPに対する日本の立場に関して説明を求められる場面もあった。FTAAPに日EU FTA/EPAを合わせると世界のGDPの約9割をカバーすることになる。それが実現した暁には、EU企業も日・EU FTA/EPAを通じて巨大なアジア太平洋市場にアクセスを確保することができると指摘した。
2.日・EU間のコミュニケーションの一層の促進
昨年7月の訪欧ミッションにおいて、経団連からEUならびに各国首脳に提案し、その後、各業界に働きかけてきた日・EUの業界同士の対話を一層促進することによって、日・EU間にwin-winの関係を構築していく考えであることを説明した。訪問先では、自動車分野の非関税措置や鉄道分野の調達などについて日本に対し善処を求める声が多く聞かれた。それらについて適切な解決策を見出すにあたって、規制や制度を含めて業界の現状をよく知る者同士が話し合うことが効率的であり、政府の迅速な取組みを促すことになるとの思いは、この1年間の業界対話の進展を見てますます強まった。
即ち、さる7月10日に日本政府が閣議決定した「規制・制度改革に係る方針」では、日本の非関税措置に関するEU側の関心事項が数多く取りあげられている。交渉前にもかかわらず、日本政府が短期間でそのような決定を行ったのも、業界対話を踏まえた経済界からの働きかけがあったからこそと考える。
また、上記7月の欧州委員会の決定に加えて、例えば、さる9月19日には欧州の10の業界団体による共同声明が発出されるなど、欧州の産業界からも、日EU FTA/EPAの推進を求める声が上がるようになってきている。各訪問先においても、以下3に掲げるとおり、交渉開始を支持する声が多く聞かれた。昨年のミッション時に比べて、官民ともに日本とのFTA/EPA交渉の開始に一段と前向きになっていることに大いに意を強くした。
しかしながら、未だ交渉開始に慎重あるいは懐疑的な国・業界があることも確かである。欧州委員会関係者からは、加盟国の承認を得るとともに、交渉を円滑に進めるため、スコーピング作業において日本政府が約束した規制・制度改革を期限どおりに実行するよう強く求められた。他方、日本との交渉開始に慎重・懐疑的な国・業界が抱く懸念や不満の中には、まだまだ誤解や固定観念に基づくものがある。業界対話に関する経団連の取組みは、いずれの訪問先でも高く評価されており、これを引き続き促進すると同時に、様々なレベルでEUとのコミュニケーションの密度を濃くし、認識の溝を埋めていく必要があると痛感した。
3.訪問先毎の模様
各訪問先における日・EU FTA/EPAに関する主な発言、反応は以下のとおりである。経団連としては、これらを踏まえ、引き続き速やかな交渉開始に向けて働きかけを続ける所存である。
EU(ファン=ロンパイ欧州理事会議長、バローゾ欧州委員長、デ・ヒュフト欧州委員、ビジネスヨーロッパ)
ファン=ロンパイ議長からは、交渉開始に向けて加盟国からの承認取り付けに努力するとの意向表明があったほか、欧州債務危機で不確実性が蔓延している今こそ、成長のためにFTA/EPAを含むあらゆる機会を活用していきたいとの発言があった。バローゾ委員長からは、本年末までの交渉開始に期待感が示された。また、非関税措置について2013年3月末までに撤廃することが極めて重要との指摘があった。同様の認識はデ・ヒュフト委員からも示された。ビジネスヨーロッパにおいては、加盟35か国41団体の事務総長他を前に、私から、上述の日・EU FTA/EPAの意義について説明し、交渉開始への支持を求めた。ドイツ(フォン=クレーデン首相府国務大臣、レラー首相補佐官、リンク外務省国務大臣、ヘルケス経済技術省事務次官)
フォン=クレーデン大臣からは、日・EU FTA/EPAの早期交渉開始を支持するとの表明があった上で、非関税措置の撤廃、政府調達市場のアクセス改善が進めば、ドイツ経済界もより積極的な姿勢に転じるであろうとの発言があった。レラー補佐官からは、メルケル首相としても、現在進められているプロセスにおいて建設的な役割を果たす考えであることが紹介された。リンク大臣からは、交渉開始に向けて最後の一押しをする際、鍵となるのは経団連とドイツ産業連盟(BDI)との良好な関係と業界対話であり、業界対話は「保護主義に対する薬」であるので、是非推進すべきとの発言があった。ヘルケス次官は、「日本は歴史的に閉ざされた国」という固定観念を克服する必要があると指摘するとともに、非関税措置の撤廃には時間がかかるため、FTA/EPAを締結した場合、当初はEU側がより多くの代償を払わなければならないとの認識を示した。
フォン=クレーデン大臣の発言にあるように、ドイツ経済界は交渉開始賛成で必ずしも一致している訳ではないようだが、ドイツは自由貿易を標榜・堅持することで発展を遂げてきた国であり、十分理解を得られるものと考えている。フランス(ファビウス外務大臣、ブリック貿易大臣、フランス経団連(MEDEF))
ファビウス大臣は、日・EU FTA/EPAはフランスにとっても好ましいものと考えているとし、非関税措置を含む、日EU双方の利益となるバランスのとれた協定を希望すると述べた。ブリック大臣は、日・EU FTA/EPAに原則的には賛成であるとしつつも、スコーピング作業の結果は不十分であると指摘するとともに、日本の鉄道分野の調達、牛肉の輸入、食品添加物の指定、ワクチン等に係る医薬品分野の規制に言及した。また、FTA/EPA全般について、フランスの雇用にとってプラスの効果があること等の締結にあたっての原則を説明した。
パリゾMEDEF会長からは、自由貿易を基本的に支持しているが、日・EU FTA/EPAについて、フランス経済界には様々な意見があるとの説明があり、懇談では、自動車、鉄道、牛肉について具体的な要望が聞かれた。
オランド政権は、対日関係を担当する政府特別代表を任命するなど日本を戦略的パートナーと位置づけており、日・EU間にwin-winの関係を構築するというFTA/EPAの意義について説明を尽くすことで何とか理解を得ていきたい。イギリス(キャメロン首相、ケーブル ビジネス・イノベーション・スキル大臣)
キャメロン首相からは、日・EU FTA/EPAを引き続き強力に支持する旨の大変心強い発言があった。また、日本において非関税障壁の撤廃や規制改革で大きな進展があったことを強く訴えることが、他の加盟国を説得するにあたって重要であり、首相自身、欧州理事会(EU首脳会議)等でその旨発言するとのことであった。ケーブル大臣は、昨年来、日本において規制改革等について大幅な進捗があったことを承知しているとした上で、数か国への働きかけが必要であるが、EUとしても交渉開始の準備が整ってきたとの認識を示した。
II.欧州債務危機
欧州債務危機は、すでに日本からの対EU輸出の落ち込みおよび中国の対EU輸出の減少に伴う日本の対中輸出の減少を通じて、さらには歴史的な水準にある円高という形で日本経済にマイナスの影響を及ぼしており、早期収束が望まれる。しかしながら、欧州中央銀行(ECB)による国債の無制限買取りの決定等によって一息ついたとはいえ、今次危機の根本的な解決には、(1)危機に直面する諸国による競争力向上のための一層の改革努力、(2)銀行の監督(銀行同盟)・予算の管理(財政同盟)・経済政策の調和(経済同盟)・民意の反映(政治同盟)といった4つの面での統合の一層の深化が不可欠とのことであった。これらの実現には、かなりの時間を要すると考えられることに加え、危機を脱した後、EUとして成長の糧をどこに求めていくのか必ずしも明らかではない。
EUはこれまで統合の深化と拡大を通じて発展を遂げてきた。単一市場、通貨同盟と進展してきた深化のプロセスは今次危機を契機に次の段階へ進もうとしているが、上述のとおり未だ時間を要する。このような中、統合の深化と拡大を代替し、EUの将来を切り拓く手段の一つが、域外諸国・地域との間でシームレスな事業環境を実現するFTA/EPAである。EUがこれまで締結したいずれのFTA/EPAをも上回る経済効果をもたらすと期待される日・EU FTA/EPAの早期締結を通じて、成長と雇用を促し、競争と協調の制度的基盤を提供することが重要である。
折しも訪欧中、EUがノーベル平和賞を受賞するとのニュースが飛び込んできた。不戦の誓いから出発して営々として進めてきた統合のプロセスの平和と民主主義への貢献が評価されたからに他ならない。今次危機を奇貨としてEUが機能を強化し、更なる発展を遂げることを切に願うものである。