日本科学未来館館長。IBMフェロー、カーネギー・メロン大学客員教授。東京大学先端科学技術研究センターフェロー。
1985年 日本アイ・ビー・エム東京基礎研究所に入社。非視覚的ユーザー・インタフェースの研究・開発に従事。2003年 米国女性技術者団体(The Women in Technology International)殿堂入り。
2004年 東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程を修了。博士(工学)。2009年 IBMフェロー就任。2013年 紫綬褒章受章。2014年 カーネギー・メロン大学客員教授を兼務。2020年 東京大学先端科学技術研究センターフェロー。2021年4月 日本科学未来館館長就任。
日本アイ・ビー・エムに入社して以来、長く研究に携わってきました。2021年から日本科学未来館の2代目館長も務めています。
ユーザー視点で点字デジタル化の研究開発にかかわる
入社して初めて取り組んだのは、点字のデジタル化プロジェクトです。10代で失明した私にとってライフワークとなるようなテーマでした。ユーザーとして想定されたのは、点訳ボランティアの方々です。当時(1980年代後半)はパソコンがまだ普及し始めたころで、多くの点訳ボランティアの方々は50代以上、パソコンになじみがない方が多数でした。ユーザーの視点に立ち、従来の点字タイプライターとほぼ同じような感覚でパソコンでも点訳ができる、そんなインターフェースを開発しなければいけないと考えました。そこで点訳ボランティアの方々とコミュニケーションを続け、どうすれば安心してパソコン点訳ができるかの調査や対話を繰り返しました。そうして開発したシステムは、全国の点訳ボランティアの方に使っていただけるものになり、今でも標準的なアプリとして使っていただいています。ユーザーの立場になって研究開発を行うことの重要性を実感することができました。
目が見えない私は、ダイバーシティそのもの
1990年代半ばに、私は研究所という特殊な環境のなかで、目が見えなくてもインターネットにアクセスすることができるようになりました。まだ技術的な課題が多々ありましたが、インターネットは視覚障がい者の新たな情報源になるということを確信しました。そこで、周囲の研究者とネット上の情報の音声読み上げと、音声でアクセスする仕組みを議論しました。そのなかで、周囲の研究者からは「ネットは見てわかるように作られているので聞いてもわからないのではないか」と言われました。
研究所では目が見えない私は、ダイバーシティそのものでした。ネットは見るだけではない、と自分のシステムを周囲の皆に見せてみました。目を閉じていても理解できるでしょう、新聞も読めるでしょうと体験することで、目の見えない状況での情報収集を理解してもらいました。そして目が見えない人が使うためにはどんな技術が必要か、どんなユーザーインターフェースが適切なのかを議論していきました。
同僚は、音声合成や音声認識にかかわる研究者たちでしたが、ネットに視覚障がい者がアクセスするということは全く想像もできなかったのです。ただし、いったん理解してくれれば、みんなの技術力を結集でき、『ホームページ・リーダー』という視覚障がい者のための製品が完成しました。多様な人々が1つのチームで働くことがイノベーションを生み出すことにつながっていると実感できた貴重な経験です。私自身が開発者でありユーザーでもあったことは、そのソフトが日本だけでなく世界中の視覚障がい者に受け入れられた要因だったろうと自負しています。
研究者たちは、目が見えないというエンドユーザーの状況を理解するのは大変だったと思います。障がいのない人は、目が見えないと何もできないのではないかと思いがちですけれど、そんなことはないのです。目が見えなくても料理はできますし、メイクや髪のセットもできますが、想像が及ばないのだと思います。
人生をポジティブに捉えられるようになるまで
私は14歳の時に失明しましたが、その頃から、「目が見えないという障がいを個性として強みに変えることができる」とポジティブに考えられたわけではありません。当時、将来はオリンピックの選手を目指すようなスポーツ少女でした。そのため、目が見えない自分に一体何ができるのだろうか、自分は将来自立して生きていくことができるのか、不安に思っていました。
大学を卒業し、アクセシビリティーにかかわる研究開発という自分だからこそできる仕事に出会えたことで、自分の人生をポジティブに捉えられるようになりましたが、その後も苦労をしました。周囲の仲間が理系の研究員というなかで、私は文系出身であったため自信がなかったのです。みんながいろんなことを教えてくれました。2004年には工学部で博士号を取得しました。1つ1つ目標を掲げて、それを達成するなかで人生をポジティブに捉えることができるようになったと思います。
オープン、フレキシビリティー、そしてアクセプタンス
DE&Iを実践するなかで心掛けている点が3つあります。まず人や社会的な活動に対してオープンマインドであることです。2つ目はフレキシブルに対応することがとても重要だと思います。そして最後にアクセプタンス、受け入れること。オープン、フレキシビリティー、そしてアクセプタンス。この3つを常に心にとどめています。最近よく耳にするアンコンシャス・バイアスという言葉があります。人は無意識のうちにいろんな偏見を持っているものです。そういうときに、いったん立ち止まって、今の自分の考えは、オープンだったろうか、フレキシブルに対応しているだろうか、アクセプトしているだろうか、と振り返りをします。そうしたことを繰り返していくなかで、自然にダイバーシティが心に入っていくと思います。
違いを受け入れて作る社会
アメリカの大学に赴任していたときのラボでは、多様な人々と一緒に研究をしました。共通言語は英語ですが、発音も話し方もそれぞれが少し違う。英語を第2外国語としている人が集まって研究をする苦労はありましたが、真にその人が何をやりたいのか、ゴールにしているところはどこなのか。表面的なものにとらわれないで、今自分が、そして自分たちが何をしたいのかを中心に置いて進むことが研究には重要なのです。類似点の多い人たちで集まるほうが、心地よいと思うのですけれども、あえて違いを受け入れることからチャレンジすることが、オープンマインドにつながるのではないかと思います。
日本科学未来館の挑戦~ニーズを理解して一緒に未来を考えられる場にしたい
これまで未来館では、様々なトピックに応じてワークショップやディスカッションをする機会を提供してきました。最近は目が見えない、耳が聞こえない来館者が展示を楽しめる技術やサポート体制を整えて、サービスの提供を始めています。そうした活動を通して、未来館自体がどうすればよりスムーズにコミュニケーションできるのかということに気づき、多様な人々が一緒に議論できる、対話できる場を作っていこうとしています。今はまさに準備段階ですね。
例えば、『私をアップデート』という展示企画は、高齢者の方々に今の自分の健康や生き方を考えてもらおうというイベントです。未来館は、高齢者の方々の来館が少ないので、どういうサービスが必要なのか、点と点をつないでいくことで人々が集まってくれるような未来館にしていきたいと考えているところです。
テクノロジーは面白いし、多様性を認める社会のお手伝いをできると思います。AI翻訳のように適切なテクノロジーを提供することによって、コミュニケーションを円滑にできます。様々なダイバーシティのグループの方々のニーズを理解して、提供できる仕組みを準備してみんなが一緒に未来を考えていける、そんな場にしていきたいです。
仲間と一緒に切磋琢磨する機会が財産
私が目指しているのは、ダイバーシティを自然に受け入れられる社会なのです。世の中では違いを受け入れましょうと今、一生懸命推進していますが、将来は当たり前になってほしいと思います。障がいがあってもなくても、性別にかかわらず、多様な人々がいるのが当たり前になれば、もっと生きやすい世界になります。そうなれば私たちの社会の回復力が向上するでしょう。そして私たち一人ひとりが困難を乗り越えて先に進む力というものを持つことができます。
入社以来、いろんな方々と会ったりセミナーで講演したり、世界中で様々な機会を持つことができたのは幸運でした。そうした経験を通じて、異なる文化や言語、障がいの有無、ジェンダーの違いなどは、対話を進めていけば越えられると実感しています。
日本アイ・ビー・エムに入社して周りの研究員にとても助けられました。目が見えないから支援されたということだけではなくて、仲間と一緒に切磋琢磨する機会をもらえたことが私にとっては財産です。目が見えない私の研究は私の個性であると周囲の研究員がリスペクトして、いろんなアイデアをくれたり、ともに議論をしたりしてくれました。入社して一番大変だった時期に仲間に恵まれたことが、今日につながっていると思っています。