企業活動のグローバル化が進展するに伴い、わが国経済にとって、国境を越える投資の重要性が高まっている。わが国の対外直接投資は、2006年には約53.5兆円と残高(年末)ベースで過去最高を更新し #1、所得収支が貿易収支を上回った #2。また、日系現地法人数(全世界)も、1996年の18,223社から2006年には21,226社へと拡大した #3。
このような中、グローバルにビジネスを展開するわが国企業にとって、関税等の貿易障壁の削減・撤廃にとどまらず、投資に係わる外資規制や投資先におけるビジネス上の規制・手続き等、国境を越える投資活動に関する障壁の削減・撤廃がますます重要になっている。
日本経団連では、かねて、国際的な投資ルールの構築、二国間・地域間の経済連携協定(EPA)、投資協定の締結などにより、国境を越える投資の一層の自由化・円滑化を強く求めてきた #4。
2007年10月には、わが国におけるグローバルな対外経済戦略の総合的な指針として、提言「対外経済戦略の構築と推進を求める」をとりまとめ、東アジア(経済)共同体の構築に向けた検討とならんで、グローバルなビジネス環境の整備の一環として、相手国・地域との関係に応じて、EPAのみならず、投資協定、租税条約、社会保障協定等の分野別協定の締結を推進すべき旨、指摘した。
本提言は、そのフォローアップの一環として、わが国海外投資の法的基盤の整備等の具体的な進め方について改めてわれわれの考え方を提示するものである。
わが国企業は、国境を越える投資にあたり様々な課題に直面している #5。例えば、投資に際しては、金融・証券業、小売業・卸売業や物流サービスの参入にかかる外国資本の出資制限ないし現地企業との合弁要求などの問題があり、また、投資後においても、外資に対する事業内容の制限、自由かつ円滑な送金の制約、許認可など行政手続の恣意的運用や遅延、法令・政策の恣意的あるいは突然の改廃などの問題が数多く指摘されている。さらに、模倣品・海賊版など知的財産権の侵害、二重課税の発生、社会保険料の二重負担、査証発給手続きの遅れ、その国固有の基準・規格の設定などの問題がある。
以上のような問題を解決するため、わが国政府は、諸外国における外資参入の自由化、投資活動の円滑化ならびに投資財産の保護など、海外投資の法的基盤の整備に向けて、WTO(世界貿易機関)等における多国間の投資ルールの整備、地域間・二国間投資協定あるいは投資章を含むEPAなどの締結に取り組んできた。
その結果、わが国は、現在、投資の保護を主な目的とする二国間投資協定を9カ国と締結している #6。このような協定においては、通商航海条約等において規定される締約国の投資家に対する概括的な保護に加え、収用・国有化に関して投資受入国が負う義務や補償の原則および投資家対国家の仲裁条項を含む協定が多い。企業にとっては、主に、締約国による恣意的な収用等の抑止、損害の補償などが期待できる点に意義がある。近年は、このような投資保護を主な目的とする協定のほか、外資参入の自由化を盛り込んだ投資協定ならびに投資章を含むEPAの締結により、投資の自由化および円滑化を確保しており、現在、12カ国との間で、このような協定を締結している #7。
以上のほか、日中韓の投資協定、サウジアラビア、ウズベキスタンとの二国間投資協定、インド、豪州、スイスとの投資章を含むEPAを交渉中である。
一方、多国間の投資ルールの整備については、2004年8月のWTO枠組合意において投資をドーハ・ラウンドの交渉対象とすることが断念されて以来、新たな取組みはなされていない #8。
前述の通り、わが国は、二国間投資協定、投資章を含むEPAの締結を進めているが、これまで締結された協定は21にとどまっており、欧米諸国等に比べ大きく遅れをとっている #9。世界全体を見ても、2006年末には2,573もの投資協定が締結されている #10。
投資保護を主な目的とする協定や友好通商条約すら締結していない投資先が多く残されており、グローバルにわが国の投資が拡大する中、速やかな対応が必要である。
わが国企業の生産・流通等のネットワーク化が進展する東アジア地域においては、二国間のEPAの締結によって、わが国からの投資に対する法的な保護、自由化が図られつつあるが、自由化のレベルは現状維持に留まるものが多い。
また、多国間の法的な基盤の整備はあまり進んでいない。2008年4月14日に署名が完了した日ASEAN包括的経済連携(AJCEP)協定においても、既存の二国間EPAを超える約束はなく、将来的な日ASEAN地域レベルの自由化に向けた基盤の構築と今後の投資の保護・自由化交渉を約束するに留まり、将来の課題となっている #11。日中韓の投資協定も未だ妥結に至っておらず、交渉の促進が求められる。
さらに、投資協定あるいは投資章を含むEPAにより、投資に関する法的な保護・自由化が実現した国であっても、最近締結されたEPAにおいては、投資仲裁条項が盛り込まれない、あるいは、投資の範囲に制限がある、パフォーマンス要求禁止がTRIMs(WTO貿易に関連する投資措置に関する協定)の範囲に留まるなど、相手国によっては、日韓・日越投資協定と比較し、投資の保護・自由化の水準が必ずしも十分でないものがある。海外投資の拡大を背景に、投資の自由化・円滑化に向けた要望はむしろ強まっており、内容面の充実が必要である #12。
なお、わが国企業が海外投資にあたり直面している課題は多岐にわたるため、投資協定あるいは投資章を含むEPAの締結のみをもって全ての問題が解決する訳ではない。したがって、投資に関する法的基盤の整備の一環として、租税条約、社会保障協定の締結も併せて進める必要がある。
上記の課題に対して、政府は、以下の考え方に基づいて取り組むべきである。
まず、投資に関する法的基盤を整備するうえで、多国間の投資ルールの整備に関する取組みを継続、強化すべきである。特に、整備された紛争解決手続きを備えるWTOは、グローバルな規模で自由かつ円滑な経済活動を支える制度的基盤として機能している。また、WTOにおける規律の対象は、物品貿易にとどまらず、貿易に関連する投資措置や、相手国に設置した拠点を通じて行うサービス提供を含む点で投資と密接に関係するサービス貿易にも及んでおり、わが国企業から指摘の多い知的財産権の保護等も含まれている。したがって、わが国としては、次期ラウンドにおいて投資を交渉対象とするよう引き続き働きかけるべきである。そのためにも、WTOドーハ・ラウンドの一刻も早い妥結が求められる。
以上を念頭に、当面、次の点を推進すべきである。第一に、特にわが国にとって重要な相手国・地域との間で、わが国からの投資に対する質の高い法的基盤を整備すべく取組みを加速する必要がある。具体的には、投資の保護、自由化を推進するため、(1)現在交渉中のEPAまたは投資協定の早期妥結と発効に全力を尽くすことが最重要かつ喫緊の課題である。また、(2)わが国からの投資に対し未だ法的な基盤(投資章を含むEPAまたは投資協定)が提供されていない重要な国・地域との間で早急に交渉を開始すべきである。さらに、(3)既存の協定についても、投資の保護・自由化の水準を引上げるべく継続的に見直しを行うべきである。
併せて、投資協定やEPAとならぶ法的な基盤として、従来、投資協定やEPAではカバーされていない、二重課税や社会保険料の二重負担を防止するため、租税条約および社会保障協定の締結を進める必要がある #13。
第二に、わが国企業がグローバルな規模で投資を円滑に進めていくうえで直面する課題を効率的かつ継続的に解決していくため、諸外国におけるビジネス環境の整備を目的に当該国との間で官民の協議・対話の枠組を構築・強化すべきである。
以上のそれぞれについて、具体的な国を例示するとすれば、以下のとおりである。
<1> 交渉中の協定の早期妥結
〔日中韓投資協定、日豪EPA、日印EPA、日サウジアラビア投資協定〕
交渉中の協定については、特に、多国間分業とそのネットワーク化が進む東アジア地域をはじめ、わが国と緊密な投資関係を有する国々との交渉を早期に妥結させる必要がある。上記は、特に交渉の促進が必要な国の例である。
交渉にあたっては、質の高い協定を目指す必要がある。特に、投資家対国家の仲裁条項、公正衡平待遇義務、投資の自由化ないし外資参入規制への規律(投資前の内国民・最恵国待遇、パフォーマンス要求の禁止等)、投資活動の円滑化(法令の公表、パブリックコメント等による透明性の確保)、アンブレラ条項 #14 などを盛り込むべきである #15。
なお、わが国政府においては、米国、EUとのEPAを将来の課題と位置付けている #16。米国、EUについては、経団連がかねて提言する通り #17、EPAに向けて早期に産官学の共同研究に着手し、投資に対して質の高い法的な基盤を整備する必要がある。
<2> 協定交渉の開始
わが国からの投資に対し未だ法的な基盤(投資章を含むEPAまたは投資協定)が提供されていない、以下、A)、B)に掲げる国々との間で協定交渉を行うにあたっては、上記 <1> と同様、質の高い内容の早期実現を目指す必要がある。特に、投資家対国家の仲裁条項、公正衡平待遇義務、投資の自由化ないし外資参入規制への規律(投資前の内国民・最恵国待遇、パフォーマンス要求の禁止等)、投資活動の円滑化(法令の公表、パブリックコメント等による透明性の確保)、アンブレラ条項などを含む協定を目指すべきである。
その際、わが国にとって戦略的に重要な国、即ち貿易・投資関係が深い国、第三国とのFTA等によりわが国の競争条件が当該第三国に劣後する国については、貿易・投資関係の総合的な改善に資するEPAの締結の可能性を探ることが不可欠である。ただし、早急に投資保護・自由化の法的な担保を要する場合には、二国間投資協定をEPAの前段階 #18 と位置付け、先行して交渉することも選択肢となる。また、仮に、短期間で質の高い内容に合意することが困難な場合、将来、質の高い内容に改訂するための根拠となる規定を盛り込むことが重要である。
上記は、わが国からの投資が比較的多いにもかかわらず、わが国との間で投資に関する法的な基盤が整備されていない、または通商航海条約等しか存在しない国の例である。
EU加盟国については、経団連が提言する日EUEPA #19 を通じ、EUが権限を有する予定の自由化を確保するとともに、各国が権限を有する投資保護については、各国との投資保護を主な目的とする協定により確保すべきである #20。
上記は、資源・エネルギーの安定供給の確保や、相手国との全般的な関係強化など国益を総合的に判断した場合、投資に関する法的基盤を整備することによって投資を促進することが有益と考えられる国々である。
<3> 既存の協定の見直し
〔中国、ロシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ブルネイ、トルコ、香港、パキスタン、スリランカ、エジプト、モンゴル〕
上記は、投資に関する法的な基盤について、質の高い内容とすべく、既存の協定の見直しが必要と考えられる国の例である。特に、外資参入の自由化、投資活動の円滑化、投資家対国家の仲裁条項の確保などを実現すべきである。
なお、EPA締結の要否(マレーシア、フィリピン、タイ、ブルネイについてはEPAを締結済み)や見直し時期などについては、相手国との貿易・投資関係や相手国のビジネス環境の変化、既存の協定の締結時期等を勘案しつつ、個々に判断、決定する必要がある。
投資に関する法的基盤の整備の一環として、租税条約および社会保障協定の締結等を推進し、国際的二重課税の排除、海外駐在員の公的社会保険料の二重払いの解消などを図っていくことが不可欠である。
租税条約については、わが国は現在56カ国と締結済みであり、4カ国(カザフスタン、ブルネイ、アラブ首長国連邦、クウェート)と新規に締結交渉中、オランダと改定交渉中である。II.1(1)に例示した国を含め、わが国からの投資が多い国および今後投資の増加が見込まれる国との間で、新規の締結交渉および改定作業をさらに加速すべきである。
企業の自由な事業展開を促進するためには、とりわけ、移転価格税制の適用による二重課税発生のリスクの回避が重要である。有形資産および無形資産の利益配分など、企業の取引実態に即した事前確認を円滑に行うことを可能とするため、租税条約の締結・改定にあたっては、APA(Advance Pricing Agreement, 事前確認制度)に関する条項を含む質の高い内容を目指すべきである。特に、ブラジル、インドネシアとの租税条約について、APAを盛り込むべく見直しが必要である。
また、租税条約において、投資所得(配当、利子、使用料(著作権・特許料))に対する源泉地国課税の減免を実現することにより、投資や技術交流促進の環境整備を図るべきである #21。
社会保障協定については、わが国は現在10カ国と締結済みであり、7カ国と交渉中または予備協議中 #22 である。他方、米国は20カ国以上、フランス、カナダは40カ国を超える国と締結していることに鑑み、わが国としても、二重払いが比較的多く発生している国(イタリア、ブラジル、スペイン、ハンガリー、スウェーデン、フィリピン、メキシコ、ポーランド、ギリシャ等) #23、および、II.1(1)に例示した国のなかで二重払いが発生している、あるいはその恐れが高い国との協定締結交渉を開始あるいは加速すべきである。
各種協定が既に締結されている場合も含め、わが国企業の海外投資を一層円滑化するため、相手国との間で、ビジネス環境整備を目的に官民合同の協議・対話を推進する必要がある。
わが国企業が国際競争の中で生き残っていくためには、日々変化するビジネス環境や企業のニーズに対応して制度やルールが適時適切に見直されることが重要である。このような観点から、EPAや投資協定、租税条約、社会保障協定によりカバーされない課題も含め、ビジネス環境全般にわたって、民間から継続的に改善要望等を提起できる枠組が必要である。同枠組は、EPAや投資協定の一環として整備することが有益であるが、それらの交渉に先立って立ち上げることも選択肢となる。
既にそのような枠組が存在する場合には、具体的な課題の解決にとって有効なものとなるよう、適宜見直しを行うべきである。
取り組むべき相手国は、東アジア諸国、II.1に例示した国々など、実際に事業を展開するにあたって直面している課題 #24 の多い国である。
政府においては、以上の実現に向けて、速やかに体制を整え、取組みを強化すべきである。一方、企業においても、各種協定によって整備された規定、ビジネス環境整備のための枠組等を活用するなどして、投資先政府に対し意見をより積極的に発信し、ビジネス環境の改善に自ら努めることが期待される。