日本経団連の平岩外四(ひらいわ・がいし)名誉会長が22日午前10時56分、心不全のため都内の病院で死去した。92歳だった。後日、お別れの会が開催される。
平岩氏は1978年より副会長を務めた後、90年12月、第7代経団連(現日本経団連)会長に就任。氏は、企業自らが新たな理念、理想を掲げて変革の主体となることが必要であることを繰り返し強調し、当会の活動をリードした。
91年1月には就任後最初の理事会において、「1990年代を通じた基本指針」として、「活力に満ちた、節度ある自由競争経済の実現」「消費者・生活者と企業との『共生』の実現」「地球環境問題解決への貢献」などを決定した。また同年4月には「経団連地球環境憲章」を発表したほか、第1回フリートーク・フォーラムを開催、主婦やマスコミ、労組との直接対話を開始した。同年9月には「経団連企業行動憲章」を発表、11月には訪欧ミッションを派遣した。
92年5月の総会では「共生と変革の時代に処するわれわれの決意」を発表。同年9月には経団連自然保護基金を設立した。同年11月には訪ASEANミッションを派遣した。
93年5月には、「企業の自己革新に向けてのわれわれの決意」を、11月には「消費者・生活者の視点に立つ企業経営」を、12月には「外資系企業の環境改善とわが国の経済の改革について」を、それぞれ発表した。
また同年9月には会長・副会長会議で、政党への献金仲介廃止、企業献金の見直しを決定、「企業献金に関する考え方」を公表した。同年11月には、氏が座長を務めた政府の経済改革研究会が報告(いわゆる「平岩レポート」)を公表、規制の撤廃・緩和を求めた。
94年3月には「対日直接投資拡大、輸入促進ならびに輸入関連規制緩和のための緊急提言」を発表。また同月に「アジア隣人会議」を開催し、その後、5月に経団連会長を退任した。会長を退き名誉会長に就任後も、わが国経済の発展に尽力された。