「日本の近代史からみる日本の針路」と題して講演を行った作家の半藤一利氏はまず、日本の近代の始まりを1853年のペリー来航とする説に対して、京都の朝廷が攘夷から開国に転じた1865年を近代の始まりとし、ここから「世界の中の日本」という考え方が始まったと指摘。それ以降、40年を単位として、近代日本の盛衰が繰り返されてきたと言及した。
最初の40年(1865年から、1905年のポーツマス条約締結による日露戦争勝利の確定まで)について半藤氏は、このうちの最初の10年を、西南戦争や自由民権運動を経るなど、国の基礎固めの時期と位置付け、大日本帝国憲法発布をもって国の基軸が固まったと述べた。
さらに、その際の基軸となったのが“天皇”であり、明治政府はそれを国民に浸透させるために、宮中祭祀の国民的祭日化や、国歌・国旗の制定、教育勅語の下賜などを行うとともに、“富国強兵”を国家目標に、世界5大国の1つであるロシアを戦争で破るまでの国家をつくりあげたと概説した。
次の40年間(1905年から、第2次大戦敗戦の1945年まで)については、「日本は次第に悪い国になっていった」と述べ、その理由として、日露戦争の勝利が国民に自惚れと驕りを生じさせた上に、(1)出世主義や学歴・学閥偏重 (2)成金・拝金主義 (3)享楽主義 (4)時流に乗り遅れた者の絶望感や刹那主義――が社会に蔓延したことを挙げた。
その上、政府が、国家機構上の大きな課題である“統帥権問題”を解決することなく放置したことで、軍部の政策決定への外部からのコントロールを不可能にし、軍部の暴走を許すこととなり、東亜新秩序や大東亜共栄圏といった空想に近い国家目標を掲げた大日本帝国は、敗戦の憂き目を見ることになったと語った。
次の40年として半藤氏は、米国占領下の6年を除外して、1951年の日本の主権回復から、1991年のバブル崩壊までを、1つの時代として捉えた。戦後、平和国家の再建や経済復興を、国の基軸や国家目標に据えて懸命に努力した日本は、1989年12月29日に東証株価平均3万8915円をつけるなど、経済大国としてのピークを迎えたが、1991年から1992年のバブル崩壊で、日本はまたも凋落の道を歩み始めたと解説。このことについて半藤氏は、その原因として「やはり国民の自惚れである」との考えを示した。
最後に半藤氏は、現在の日本に基軸となるものは何もなく、日本はこのままでは“滅びの40年”を迎えざるを得ないと述べ、国民全体で新たな基軸を作りあげるなど、何らかの手を早急に打たねばならないと警鐘を鳴らした。
例えば、(1)唯一の被爆国としての平和主義 (2)天皇制の伝統によって生まれた文化・価値観 (3)自然との共生――など、日本人のアイデンティティを発揮し、世界に存在感を示し得る国を創造することについて考える必要がある。
現在の教育では、日本史と現代史のウエートが低い。歴史を根幹に据えて、考える能力と判断する能力を養わないといけない。
日本人は世界の中でも特に、自国の歴史を知らない国民である。国際人としても恥ずべきことだ。
日本人は国民的熱狂に流されやすいという指摘があるが、これを改めるには若い世代への歴史教育が必要だと考えるか。
若いうちに、いわゆる「読み・書き・そろばん」をもう一度しっかりやらせるべきだと思う。今の教育は、のんびりしたものに思える。
戦後の日本は、目的達成のためには手段を選ばないという側面がある。そういう歴史の繰り返しが問題だ。
明治時代の人たちは、西洋に引け目を感じており、西洋文明に降伏してしまった。第2次大戦後の日本人も同様である。
「平和・安全・繁栄」の地球規模での推進を、日本の目的にできれば、それが日本のアイデンティティになるのではないか。
人類が進んでいくためには国連がしっかりし、国連憲章を具現化している日本国憲法を推進していけばよいと思う。
新規事業を立ち上げやすい国にしていくという視点から、国づくりや憲法問題を考えていってもよいのではないか。
日本人がアイデンティティとして取り戻すべきものに、“武士道”があるのではないか。そのためにも日本は、家庭と教育者の育成に力を入れないとだめなのではないか。