経団連は5日、東京・大手町の経団連会館で人口問題委員会企画部会(高尾剛正部会長)を開催し、明治大学国際日本学部の山脇啓造教授から、多文化共生社会の構築に向けた課題等について説明を受けた後、意見交換を行った。説明の概要は次のとおり。
■ 多文化共生とは
地域における多文化共生とは、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」(総務省多文化共生の推進に関する研究会)と定義されている。
外国人政策は2つからなる。一方は出入国管理政策であり、他方は多文化共生(統合)政策である。わが国では出入国管理政策は法務省が所管しているが、多文化共生政策は担当の組織が定まっていない。本来は国と地方自治体が連携して取り組むべきだが、日本ではもっぱら地方自治体に委ねられている。
■ 日本における多文化共生政策の経緯
日本における多文化共生の取り組みは、1970年代に在日コリアンの社会運動をきっかけに地方自治体から始まった。90年代にはブラジルなどから多数の日系人が来日し、日系人が多く居住する地方自治体では独自の施策が推進された。2001年に発足した外国人集住都市会議は「浜松宣言」を採択し、外国人の存在を前提とした学校教育や社会保障制度の構築を国に求めた。
国の取り組みは、地方自治体の取り組みに比べて遅れたが、06年に総務省の多文化共生研究会が報告書をまとめ、経済財政諮問会議で取り上げられたことを契機に、取り組みが本格化した。その背景には、05年のロンドン同時多発テロやフランスの移民暴動の発生によって、外国人が社会から隔離されたままだと大きな社会的コストが生じるとの問題意識もあったと思われる。
06年の外国人労働者問題関係省庁連絡会議において、日本で生活する外国人も日本人と同様の公共サービスを享受し生活できるよう環境整備を図るとの方向性が示された。その後、自民党が移民受け入れの提言をまとめたが、08年の世界経済危機で、そうした気運は萎み、多くの日系外国人労働者が解雇されたことで、日系人対策が中心となり、現在に至っている。
■ 最近の動向と今後の課題
現在、日本政府は新たな外国人材の活用は推進するが、「移民政策」は取らない方針であり、そのことが国としての多文化共生政策の推進を妨げている。他方、一部の先進的な地方自治体では、外国人への支援とともに外国人がもたらす多様性を生かした地域づくりを進めようとしている。
今後は、地方自治体と企業と大学が連携して、多文化共生の成功例を積み重ね、広く社会に発信していくことが求められる。また、国による外国人受け入れのための体制整備を進めるために、「多文化共生社会基本法」の制定と多文化共生政策の担当組織の設置が必要である。
【経済政策本部】