日本経団連の新産業・新事業委員会は1月23日から2月6日まで、シアトル、シリコンバレー、ボストン、ワシントンに訪米調査団(団長=高原慶一朗新産業・新事業委員長、副団長=鳴戸道郎同委員会企画部会長)を派遣し、ITバブル崩壊後の米国の起業環境の変化について調査を行った。
同調査団には新産業・新事業委員会企画部会の委員を中心に、伊藤忠商事、ソニー、大和証券グループ本社、凸版印刷、日本たばこ、富士通、三菱電機、ユニチャームなどの企業や日本経団連事務局から、団員として12名が参加。訪問・インタビュー先は、大企業1社、ベンチャー企業8社、ベンチャーキャピタル・インキュベーター9社、ベンチャー企業支援ネットワーク2組織、大学3校、州政府機関4機関、連邦政府2機関、日経新聞支局、在ボストン日本国総領事、ウォートンスクールシニアフェローの計32カ所に及んだ。
シアトルでは、マイクロソフト社を訪問。同社における新規事業戦略や知的財産戦略などについてレクチャーを受けるとともに、同社の関与するベンチャーキャピタリストとの意見交換を行った。
シリコンバレーでは、アジア戦略を進めつつあるベンチャーキャピタルや、シリコンバレーで活躍するインド人や日本人らのネットワーク、さらには現地で起業に取り組む日本のアントレプレナー、スタンフォード大学のダッシャー教授らに、ITバブル崩壊の影響と生き残ったベンチャー、ベンチャーキャピタル、大学の強みは何かといった事項についてインタビューを行った。
ボストンでは、MITのアッカード教授やMIT発のベンチャー企業、それらを支援するインキュベート機関、マサチューセッツ州政府、ベンチャーキャピタルを訪問、生分解プラスティックはじめバイオやライフサイエンス、チップレス・タグといった新分野への取り組みについて説明を聞き、現場を視察した。
ワシントンでは、メリーランド州、メリーランド州立大学などのヘルスケア分野への取り組みについて話を聞くとともに、NIST(米国立標準技術研究所)やSBA(米国中小企業庁)において政府としての起業支援に関する取り組みを聞き、意見交換を行った。
新産業・新事業委員会がこうしたミッションを派遣するのは、1995年、98年についで3回目、7年ぶりのこと。今回の訪問先のいくつかは、前回、前々回と同じ企業・機関等を選定し、90年代後半から2000年にかけてのITバブルを経て、それらの企業・機関の取り組みがどう変化したのかなどについて調査した。
その中にはコグネックス社のようにリストラを経験しつつも大きく成長した会社もあれば、MTDC(マサチューセッツ技術開発公社)のように事業の縮小を迫られた公的機関もある。
いずれの都市においても、2000年のITバブル崩壊直後に比べて、ベンチャー投資はバブル以前の水準を回復しつつあるものの、バブル以前に比べてベンチャーキャピタルの姿勢は総じて慎重であった。ベンチャー企業がベンチャー段階を終える出口として、以前は株式公開が多用されていたが、現在はM&Aによって事業を売却する手法が多く用いられ、株式公開をする場合にも、起業から公開までの期間が長期化している。
また、ベンチャー企業と関係者とのネットワークが、大学を中心とするものや出身国のコミュニティを中心とするもの、同じインキュベート機関に同居するものなど多様に形成されており、これらネットワークによって自らのメンター、あるいは法務・会計・マーケティング等の専門家を得ることが、起業家が生き残るための重要な要素となっていた。
州政府などの支援策(補助金や税制優遇等)、は、バイオのような先端分野・基礎研究等のハイリスクの分野に関する支援を特に充実させつつあり、それらの分野が新しい成長分野となっていた。ベンチャー企業もベンチャーキャピタルも世界市場を意識して戦略を立てており、とりわけアジア市場には大きなポテンシャルがあるとの認識がみられた。
多数の関係者から日本の起業環境へのアドバイスなどを得ることができたことから、訪米調査団ではそれらを踏まえて、3月初めに報告書をとりまとめ、公表する予定としている。