日本経団連の新産業・新事業委員会(高原慶一朗委員長、原良也共同委員長)は9月30日、東京・大手町の経団連会館で企画部会(鳴戸道郎部会長)を開催し、前回会合(9月2日号既報)に引き続き、ITバブル崩壊後の諸外国のベンチャー事情について検討した。今回は、シリコンバレーにおけるスタートアップ(創業)状況について田路則子・明星大学助教授から、また、ITバブル以降のドイツと韓国ベンチャー企業の状況について前田昇・大阪市立大学大学院創造都市研究科教授から説明を聞き、意見交換を行った。
会合ではまず、田路助教授が今夏、シリコンバレーのスタートアップ企業の創立者や起業参画者8名にインタビューした内容を報告した。シリコンバレーではITバブル崩壊後も起業は盛んで、大学で修士号や博士号を取得後、すぐにスタートアップ企業に参画する者が5〜10%存在し、スタートアップ企業での勤務経験を経て、同企業の経営チームに参加することが多いことや、技術系出身の起業家はテクノロジーとマーケティングの両面に通じた能力を持つことが強みであると指摘。また、起業参画の理由に、「意思決定権の大きさとスピード」を挙げた。ベンチャーキャピタルからの投資受け入れでは、意思決定権の制約につながるという面には抵抗感があると述べたほか、東海岸のマサチューセッツ工科大学の技術を使って西海岸のシリコンバレーで起業する産学連携が頻繁に行われていることや、現地の日本人起業家がシリコンバレーのビジネス・許認可の速さや優秀な理工系人材の獲得の容易さに魅力を感じているなどといった傾向があることを紹介した。
続いて講演した前田教授は、まずドイツについて、政府がミュンヘンのバイオベンチャーなどに集中的な支援をしたことで、ベンチャー企業が10倍以上増加したと述べた上で、バブル崩壊後は支援が続かなかったものの、人材が流れた大学の受け入れにも限度があったことから大学発ベンチャーが倍増、起業率は高水準のままであると解説した。また、韓国については、大田市に日本の筑波学研都市をモデルに建設したテドクバレーが、1997年のIMF危機の影響で研究所の大リストラを迫られたが、99年に金大中大統領が打ち出した政府のスピンオフ(事業の切り出し)推進策が効を奏し、起業率は高水準を保っていると語った。その上で前田教授は、「ベンチャラスな起業促進政策を行った国では、バブル崩壊後も起業マインドの勢いは止まっていない。環境に迫られて流動化した優秀な人材が起業をしているからだ」との見方を示した。
懇談では、「日本の研究開発予算も、企業による優秀な人材の抱え込みを有利にするのではなく、優秀な人材の流動性を高めることに誘導するよう検討すべき」などといった意見が出されるなど、日本の起業環境の改善に向けて、活発な意見交換を行った。