経済くりっぷ No.24 (2003年7月8日)

6月10日/防災に関する特別懇談会(座長 樋口公啓氏)

地震に強い社会に向けた防災対策

−被害抑止力と災害対応力をともに強化する


日本の防災対策は、主に建築物の耐震化などの技術的課題として推進されてきたが、阪神・淡路大震災を機に、災害発生後の対応力の強化へと力点が移っている。防災に関する特別懇談会第5回会合では、京都大学防災研究所巨大災害研究センターの河田恵昭教授から、広域で同時に発生する大規模地震のリスクと、災害の影響を大きくする社会的要因についてきいた。

○ 河田教授説明要旨

1.大規模地震のリスク

日本の周辺では、ユーラシアプレートの下に、南からフィリピン海プレート、また東から太平洋プレートが潜り込んでいる。このため、日本列島は弓形になっている。弓の中央部にあたる中部から近畿には、他の地域よりも活断層が集中しており、同地域周辺ではマグニチュード (M) 8〜7.5の「プレート内地震」が起こる確率が高い。プレートが跳ね上がる時に起こる「プレート境界地震」の典型は、南海海溝における地震である。これまで、南海地震、東南海地震、東海地震は、同時か2年以内に必ず連動して発生している。
この先、同域で地震が起こると、単独でも、M8以上のエネルギーを持ち、大きな揺れが1〜3分続く。この揺れは西日本全域に波状的に広がり、伊豆半島から鹿児島までを津波が襲い、海岸線を中心に地盤沈下が起こることも懸念される。実際の被害は、被害想定を大きく上回るだろう。

2.災害の影響を大きくする社会的要因

日本社会は、災害に対して年々脆弱になっている。その主な原因は3つある。第1に社会の高齢化があげられる。高齢者は体力や判断力が低下するため、最近は災害における犠牲者の7割以上を占めている。また、今の若者は、自然と接する機会が少なくなっているため、動物的な危機察知能力が低下している。
第2に、社会の高度化・複雑化に伴い、被害も多様化していることである。都市の複合空間で被害の連鎖が発生し、ネットワーク的被害が拡大している。たとえば、地下空間の防災対策は、火災とガス爆発への対応が中心であり、浸水の被害はほとんど想定していない。現に、1999年にJR博多駅前の地下街が浸水して駅のブレーカーが落ちた時には、福岡空港のブレーカーも落ちた。JR博多駅と福岡空港の配電網がつながっていたためである。
第3に、発生誘因の変化があげられる。地球温暖化により水災害が世界各地で頻発しており、また環太平洋地域では地震および火山活動が活発化している。
さらに、都市固有の問題として、都市が災害に弱くなったのは、高度経済成長期に土地利用のマネジメントに失敗したことが背景にある。地価高騰の影響で防災にまで公共事業の手が回らず、災害への対応力が地域的に不均衡になっている。政治・経済・情報の一極集中、土地所有権の過剰な保護、建物・施設の耐災性の不足、防災対策における公共事業への過度の依存など、いわば“都市の糖尿病化”とでも言える現象が起こっている。都市化やネットワーク社会など、人間の持つ知識や技術が発達したために問題となり得る危機や危険がある。このことは、今もわれわれが気づかない危機や危険が存在し、災害時に初めてそれらが露見するということを示唆している。

3.被害抑制力と災害対応力の双方を強化

日本では主に、土木、建築、理学分野で被害抑制のための対策に注力したが、発生後の対応は強化してこなかった。片や、米国では、発災後の対応力を強化することによって被害を軽減してきた。被害抑制力の向上とともに、災害対応策の強化にも取り組むのが理想であり、力点が移ってきている。しかし、日本人は思考が極端になる傾向があり、阪神・淡路大震災後は、情報さえ豊かになれば、被害を軽減できると誤解している。政府・自治体による社会インフラ整備への事業投資は減少しているが、防災の基本はハード面での整備である。たとえば、自治体が導入している災害情報システムでは、現場から送られてきた電送写真やビデオ映像を災害対策本部で見られるが、これによって被害は軽減できない。情報を使って被害を軽減するための知恵が必要である。
さらに、1995年の地下鉄サリン事件、2000年の東海豪雨水害、2001年の米国同時多発テロ、2002年のチェコ・プラハの地下鉄路線水没、2003年の韓国テグ市の地下鉄火災など、過去の都市災害を教訓にして、それぞれの都市において対策を立てておくことが重要である。

4.必要な防災文化の醸成

防災体制の基本は自助、共助、公助だが、行政と国民の間には大きな認識の違いがある。国民は、公助7、共助2、自助1だと思っているが、実際には公助が1で自助が7であった。阪神・淡路大震災では対応に5兆円を超える国費が投入されたが、あくまでも公共施設の復旧に使われたのであり、被災者の生活再建は自助努力となっている。この認識のずれを解消しなければならない。自助努力の前提として、行政は国民に情報を知らせる努力をし、国民は情報を知る努力をすることである。社会がこれほど急激に変化すると、経験では「常識」を身につけられない。学会、行政、マスメディア等を通じて知識で「常識」をつくる仕組みが必要である。
より根本的な問題として、日本が本当の意味で市民社会になっていないことがある。たとえば、日本では水防団が河川の決壊に備えて土嚢積みをしていると、傘をさした男性がやってきて「俺の家の前もやってくれ」と言う。一方、欧州では自分の町を守ることは市民の義務であり、スカート姿の女性が兵士と一緒に土嚢を積んでいる。日本人には、自分たちの町を自分たちがつくったという気概がない。阪神・淡路大震災で被害を受けた10市10町では、行政に対する住民の参加意識が非常に高くなっている。やはり、血を流しているからだろう。
また、日本のマスメディアは災害や事故の現場で死体の映像を流さない。悲しいことを忌み嫌い、共有することを避けようとするために、災害の本当の悲惨さや恐さがなかなか伝わらないという問題もある。

《担当:社会本部》

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