新ビジョンでは、精神的な豊かさを実現させる観点から、人生のあらゆる場面において、個人の意志に基づき多様な選択ができる社会をめざしています。前回の「出産や子育て」に続いて、今回は、人生における最後の選択肢となる「最期の迎え方」について紹介します。
世界一の長寿国となった日本では、近年、「終末期医療のあり方」が注目されつつあります。最期の迎え方、つまり個人の死生観は、宗教や国民性、性別などによって大きく異なります。たとえば寝たきりになったり、植物状態になって、医学の進歩で生き続けることは、必ずしも幸福とはいえません。
死期が迫ったとき、いたずらに延命措置をしないで欲しいという意志を医師に伝える方法の一つとして「リビング・ウイル」(尊厳死の宣言書、下記参照)があります。これが法律で認められている国では、患者の意を汲んで延命治療を中止しても、医師は罪に問われません。個人主義が根づいている欧州各国やアメリカのほぼ全州では、リビング・ウイルがすでに法律で認められていますが、日本では未だ実現されていません。
日本においても、まず一人一人が死生観を確立し、それぞれの人生において最期をどのように迎えるかを考えることが大切です。また、その中で必要となる選択肢の一つとなり得る尊厳死を可能とするリビング・ウイルの法制化も求められます。
|
* | なお、安楽死は、助かる見込みのない患者の要請にこたえて、医師が医療行為により死期を早めることであり、尊厳死とは異なります。 |