一つの歴史的事象は、複数の、タイムスパンの異なる文脈のなかで生起する。ここでは、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる一つの歴史的文脈に光を当てたい。
2022年2月27日、ドイツのショルツ首相は、連邦議会の緊急審議における首相演説で大胆な政策転換を告げた。演説は、22年予算から1000億ユーロ(約13兆円)の国防費増額を行うとし、国防費を24年までにGDP比2%以上に引き上げるとした。ドイツは戦後一貫して軍事力の強化には慎重であり、貿易と外交を通じた関係改善を重視してきた。例えば、1970年代のソ連・東欧との関係改善政策のスローガンは「接近を通じた変革」であった。政策転換の衝撃は、現政権が社民党、緑の党、自民党から成り、左派色が強いだけになおさら大きかった。
この政策転換は興味深い文脈設定に伴われていた。これが本稿の主題である。演説は「われわれは時代の転換を経験している」とし、「重要なのは力が法を破ってよいのか、19世紀の大国角逐の時代に時を巻き戻すことをプーチンに許してよいのか、それともわれわれはプーチンのような戦争屋にタガをはめる力を発揮することができるか」であるとする。ここではパワー・ポリティクスと、現在の国際秩序が対比されている。この現在の国際秩序についてショルツ首相は、「皆さん、プーチンはウクライナ侵攻によって、一つの独立国を世界地図から消し去ろうとしただけではありません。彼は、ヘルシンキ最終議定書から半世紀継続してきた、ヨーロッパの安全保障秩序を破壊したのです」と非難する。
ヘルシンキ最終議定書(議定書)とは、72年11月の準備会合から3年間をかけて開催されたヨーロッパ安全保障協力会議の最終合意文書である。議定書の眼目は戦後ヨーロッパの国境の不可侵である。これは当時のソ連が最も重視していた点であった。当時の西ドイツはナチスの不法を認めつつも、ナチスの対外侵攻開始以前の国境を正当なものとし、そこから250キロメートル西に移動した、東ドイツとポーランドの境界(オーデル・ナイセ線)を公式に承認してはいなかった。しかし議定書で、この国境線をも不可侵と認めたのである。つまり「国境それ自体の正当性に異論があっても、武力を通じた変更は認めない」ということを、ドイツが多国間枠組みのなかで認めたのである。そのことは後のドイツ統一のプロセスにおいても少なからぬ意義があった。
さらに、議定書は、人権と基本的自由の尊重を謳い、「人道および他の分野での協力」が合意事項のなかに盛り込まれていた。ソ連・東欧諸国が調印したこの議定書に、人権条項が含まれていたことが、70年代以降のこれら諸国における反体制運動の足がかりとなっていった。緑の党のベアボック外相は、人権問題などを理由に就任当初から対ロ強硬姿勢を垣間見せていたが、ヨーロッパにおいて人権が国際規範として制度化されるうえでの一つの里程標が議定書であった。
つまり、「国境不可侵」「多国間条約による国際秩序形成」「人権」という、20世紀後半のヨーロッパ国際関係が、冷戦にもかかわらず達成した「進化」の破壊行為であるからこそ許容できない、というのが、ここで示された理由付けなのである。
もちろん、具体的な決定は、多様な利益と政治的考慮の産物であり、「タテマエ」が決定を直接に導くわけではない。
しかし、このような文脈が設定されたことで、ウクライナ侵攻には単なる勢力圏争い・線引きをこえた意味が付与されることになった。国際秩序をパワー・ポリティクスの旧時代に回帰させてよいのか、という問題が、国際法の一般論としてというより、具体的な地域的多国間国際秩序を守るか否かという問題として、議題に設定されているのである。
【21世紀政策研究所】