卒業式の準備中に大きな揺れ。高台の学校のすぐ下を、車や家がおもちゃみたいに流れていった。
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震災間もないころにひとりの生徒が絵を描いた。がれきの山と化した町を子どもたちが見ている構図。ちぎれた手や、血だらけの人らしきものも転がっている。後ろ姿なので、泣いているのか、目をつぶっているのかわからない。
人は誰でも見たくないものがある。認めたくない結果、やりたくない仕事、会いたくない人…、あの時は見たくない景色が広がっていた。それは目をつぶってもなくならない。よく見ると、この子たちはしっかり手をつないでいて、スコップを背負っている。この絵のおかげで今の私がいる。生きることは大変だけどひとりじゃない。もうすぐ10年になる。
2011年5月に女川の中学生に俳句をつくらせるという企画があり、国語科の私が担当になった。
「ちょっと待ってください」と私は言った。8割の建物が流され、10人に1人が犠牲になっている町の生徒に「素直な気持ちを五七五に」なんてやらせていいのだろうか。授業の直前まで、いや授業が始まっても迷いは消えなかった。私は半ば開き直って「何を書いてもいいよ。スポーツのことでも、テレビのことでも、サラリーマン川柳でもいい。書きたくない人は書かなくてもいい」と話した。「はい、始め」と指示した直後の光景を、私は一生忘れないだろう。生徒たちは、すぐに指折り数えて言葉を探し始めた。もう鉛筆を動かしている生徒もいた。まるで魔法がかかったようだった。この活動を待っていたのかもしれない。
故郷を 奪わないでと 手を伸ばす
ただいまと 聞きたい声が 聞こえない
海水に ついたすずらん 咲いていた
ガンバレと ささやく町の 風の声
うらんでも うらみきれない 青い海
中学校 制服なしの 初登校
震災に いつもの幸せ 教えられ
逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて
人は強い衝撃を受けると言葉を失う。悲しすぎても、うれしすぎてもそうだ。3.11は、まさに言葉を失う衝撃だった。津波が襲う様子もその後の日々も、うまく言葉にできない。言葉にしたくなかったというのが正しいかもしれない。震災2カ月後の俳句の授業は、あの日の風景や想いを、言葉にする作業だ。最初から進んでやったわけではない。ぼんやりと、あるいは仕方なく取り組んだ生徒も多かったはずだ。でも、いざ鉛筆を持って考え始めると夢中になった。授業は「きっかけ」を与えるものだ。きっかけ次第で、作業ははかどるし見えないものが見えてくる。
みあげれば がれきの上に こいのぼり
こどもの日に、がれきだらけの町をとぼとぼうつむいて歩いていた。下ばかり向いてちゃダメだと、思い立って顔を上げたら、壊れたビルの上に誰かが揚げたこいのぼりが泳いでいた。情景が浮かぶ。難しい言葉は一切使っていないけれど、津波の破壊力、悲しみ、無力感、そして希望や決意がみんな入っている。
ある生徒は「見たことない 女川町(を)」という五七を書き始めた。残りは五しかない。「悔しいな」「負けないぞ」「立ち向かう」「あきらめる」「涙する」…、いろんな五音の語が思い浮かぶ。彼女は「受け止める」と書いた。「受け入れる」ではない。
見たことない 女川町を 受け止める
泣いても笑っても、目をつぶっても現実は変わらない。だから、まず受け止める、それから、泣いてもいいし、休んでもいいし、立ち向かってもいい。そうか、そうだよな、と授業中にこの句を見て気づかされた。
ほぼ全員が津波についての句だったのにもかかわらず「津波」という言葉を使った作品は数えるほど。身近な人を亡くしたことを書いた生徒は多かったが、「命」「死」という字は誰も用いず「逢いたい」とか「ありがとう」「青い空」といった言葉を選んでいた。
生徒は、五七五という限られた条件のもとで、必死に言葉を探していた。それは、現実と向き合うことであり、自分と向き合うことだ。探していたのは自分の心だ。似たようなかたちばかりなのに、なかなかぴたっと合わないパズルのピースのように、自分の気持ちにぴったりな言葉も、実は一つしかない。書かなくてもいいぞと言ったのに、全員が提出した。
この取り組みはその後も続いた。11年5月に「春風が 背中を押して 吹いてゆく」と書いた生徒がいた。何かに背中を押されていないと進めないという句だ。その生徒は半年後「女川の 止まってた時間 動き出す」と書き、翌年5月「あったかい音のする支援のフルート」と書いた。
震災体験は、あの日背負ってしまった重い荷物のようなものだ。望んで背負った人はいない。かばんの中身がなんだかわからないでいるよりは、わかった方がいい。整理すれば不要なものを取り出せるかもしれない。そしたら、足取りも少し軽やかになる。
あの絵を描いた少女は画家になった。3月に故郷で個展を開く。