羽生 善治 九段 (はぶ よしはる) | 藤井 聡太 竜王 (ふじい そうた) |
1970年9月27日生まれ。埼玉県所沢市出身。1982年12月、二上達也九段門。1985年12月、四段(史上3人目の中学生棋士)。1994年4月九段。1989年12月、初タイトルの竜王獲得。1996年2月、王将を奪取して史上初の七冠(全冠)制覇。2012年7月、通算タイトル81期獲得で、大山康晴十五世名人を抜いて歴代単独1位に。2017年12月、第30期竜王奪回で通算7期獲得により「永世竜王」になる。この結果、タイトルの永世称号7つを獲得して「永世七冠」と称される。2018年2月、「国民栄誉賞」受賞。同年11月、「紫綬褒章」受章。2019年6月、通算1434勝を挙げて通算勝利数単独1位に。タイトル獲得は、竜王7、名人9、王位18、王座24、棋王13、王将12、棋聖16の合計99期。 | 2002年7月19日生まれ。愛知県瀬戸市出身。2012年9月、6級で杉本昌隆八段門。2016年10月、四段(14歳2カ月での四段昇段は史上最年少)。以後、次々に最年少記録を塗り替えていく。2017年6月26日、デビュー以来29連勝で連勝新記録達成。“藤井ブーム”が起きる。2021年7月九段昇段(史上最年少)。2020年7月、第91期棋聖戦で最年少タイトル獲得。以後、次々にタイトルを奪取。2022年2月、第71期王将を奪取して史上最年少の五冠達成。タイトル獲得は、竜王1、王位2、叡王1、王将1、棋聖2の合計7期。 |
(司会) 日本将棋連盟 常務理事 佐竹 康峰 |
棋士としての強さとは
―藤井さんは昨年タイトル戦(注1)最高峰の竜王位を獲得し、四冠を達成しました(対談日の本年1月4日現在、2月12日五冠達成)。羽生さんも同じ19歳で竜王戦を制し、22歳で四冠、さらに25歳で全タイトル(注2)七冠を制覇した後、2017年には永世七冠の偉業を達成しました。羽生さんは、藤井さんの躍進について、どのようにご覧になっていますか。
羽生 棋士として30年以上、大先輩の棋士から最近の藤井さんをはじめとする若い棋士を見てきましたが、棋士がどのような成長を遂げるかは、やはり個人差があります。その中でも藤井さんは特別で、本当に年々、確実に実力も実績も積み上げています。
私自身は、経験を積む中で強くなったと実感するところがある一方で、逆に弱くなったと感じるところもあります。例えば、前に比べて慎重に幅広く判断できるようになったことは、裏を返すと、思い切ったことや大胆なことができなくなっている表れです。そのジレンマの中で、総合的な力をどう伸ばしていくかが、棋士としての課題だと思っています。例えば、大山康晴十五世名人のように、60代後半になってもトップクラスを維持していた大先輩の棋士もおられますので、さらに研鑽を積みたいと思います。
―藤井さんは、5歳の時にお祖父様に連れられて行った老人クラブでお年寄り達と対戦し、あまりの強さに「もう孫を連れて来ないでくれないか」と言われ「僕も早くおじいちゃんになりたい」と返したという逸話が、ある講談のネタになっていますが。
藤井 (笑)。子どもの頃のことをそれほど覚えていませんが、将棋を始めてから2カ月ほどで将棋教室に通うようになったので、もしかするとそういったことがあったかもしれません。昔から将棋に限らず負けず嫌いなところはありました。
羽生 講談ですので創作が入っているとは思いますが(笑)。
自分の子どもの頃を思い返すと、将棋道場に行けるのは週に1回ほど、親が迎えに来たら帰らなければならないので、負けて悔しいと考えている時間も惜しい、とにかく次の対局をしたいという感じでした。年齢が上がるに従い、周りの強い相手とどう違うのか、どうすれば強くなれるかを考えるようになりました。
―藤井さんは小学1年生の時に「詰将棋解答選手権」に出場し、2019年までに(20、21年はコロナにより中止)5連覇を達成していますが、詰将棋を解くことは、実戦においても役に立つのでしょうか。
藤井 棋士や奨励会員で詰将棋を解かれる方は多いですが、詰将棋に出てくる筋が実戦においてそのまま使えるわけではなく、直接役に立つかというとなかなかそうはいきません。もっとも、難しい詰将棋の問題は当然すぐには解けず、数十分、長い場合だと数時間考えることになりますので、難しい局面を前にして長く考えることが、実戦においても役に立っていると思います。
羽生 藤井さんの詰将棋を解く力は、間違いなくすごい力です。実戦の終盤戦において、例えば、「この形は十何手で詰む」という判断ができることも驚きですし、逆に「この形は詰まない」と一瞬で分かるのもとんでもない能力です。たしかに詰将棋で解いた問題と同じ形が実戦で出ることはないのですが、1つのパターン認識みたいなもので、類似した形や組み合わせた形が数多く入っていることで、短い時間で正確な判断ができるようになることはあると思います。「詰将棋解答選手権」では問題が全部解けたら部屋を出ていくルールですが、ある棋士の方が、自分が1題も解けていないのに、ごく短時間で出ていった人がいて愕然とした、と語っていました。その人物が10代前半の藤井さんだったのですね。
藤井 同選手権には第1ラウンドと第2ラウンドがあるのですが、たしか一番早い時は、第1ラウンドを20分ぐらい(注3)で退出しましたので、おそらくその時のことかなと思います。
羽生 棋士には、詰将棋を解くのが得意な人と、作ることができる人がいます。私は解けますが、作ることはできません。また、谷川浩司九段や藤井さんもたまに作られているように、両方できる人もいます。棋士だから全員できるわけではない、というスキルです。
AIが将棋界に与えていくもの
―AI(人工知能)は、将棋界にも革新的な影響を与えています。以前は、トップ棋士が指した棋譜を参考に研究していましたが、将棋ソフトが進化してからは、自分一人でも学べる環境になりました。羽生さんは、「AIの棋譜は美しくないと感じる時がある」と発言されていますが、どのような意味でしょうか。
羽生 そもそも人間が「美しい、芸術的だ」と感じるのは、時系列が関係しているように思います。時系列に沿って流れるようにスムーズで一貫性があると、美しいと感じるわけです。AIの指し手は、もちろん非常に正確ですが、一手一手、瞬間ごとに一番評価の高い手を選んでいくので、10手や20手など、連なった手の連続で見ると一貫性がなく、どういう方針か分からないところがあります。瞬間ごとに判断するから過去にとらわれない強さがあるのでしょうが、美しさは感じ取れません。ただ、AIが人間の世界に入ってくると、人間の美的センスそのものも変わってくるでしょうから、これから先は分かりません。現状では、私はそういったところに違和感を抱いています。
藤井 AIの進化につれて、棋士達は今後一層AIを活用し、強くなる方法を模索していくことになりそうです。私達がAIの感覚に接しているうちに、羽生先生が話されたように、人間の感覚がAIの影響を受けて変わっていくことも、さらに起きてくるのではないでしょうか。
羽生 AIはものすごい速度で進化しており、バージョンアップした優れたソフトが毎年出てきますので、そうしたものを取り入れて吸収していくのは人間の役割です。今のところAIは、人間の生活を便利に、快適に、楽にするという目的のために使われているわけですが、将棋の世界での使われ方は、AIから学んで自分自身のスキルを上げていくという作業です。
例えば、藤井さんは、いわゆるデジタル・ネイティブという、AIを特別なものとせず、日常的に接し続けてきた最初の世代です。藤井さんがどう活用しているか詳細は知りませんが、AIを上手に使いこなして能力や才能を伸ばすことに先駆けて取り組んでいる、ということになります。藤井さんが前進して切り拓いた道が、次の世代の人達にとって、間違いなく大きな財産になるでしょう。
―AIは将棋観戦の形も変えています。現在は、AIが判断した勝率が対局の画面上に出てきますが、ある一手で大きく数字が変わるので、その変動の大きさに驚かされることもあります。
藤井 AIの評価値は局面での形勢を示していると言われます。より正確には、形勢というよりは勝ちやすさの指標、と解すのが的確かと思います。それもAIにとっての勝ちやすさであり、そこに表れる数字が絶対というわけではありません。人間にとっての勝ちやすさとは異なる場合があることに少し留意する必要があるかなと思います。
羽生 人間には恐怖心がありますから、例えば王手をかけられるのも、駒が迫ってくるのも嫌なものですが、AIにはそれがありません。だから、仮にAI評価値(勝率)が80%と表示されたとしても、対局している当人の体感はもっと接戦だったりします。AIは絶対的な尺度から見たら正しいものに近いかもしれませんが、人間の体感との間にはまだ少し幅があると感じます。
藤井 AIの進化で棋士が大きな影響を受ける一方、今話に出ましたように対局中継でAI評価値が表示され、観戦者が実況分析をすぐ見られるようになったことも、別の点で大きな変化だと思います。観戦者には、これまでどちらが勝ちそうかといった指標がありませんでしたから、少し敷居が高くて分かりづらいところがあったと思います。現在は、ある意味、スポーツ観戦のように将棋を楽しむことができる環境になったのかな、と思います。
羽生 AI表示に勝率90%と出ても、次善手(2番目に良い手)をたった一手指しただけで一気に5%や0%に下がることもあります。棋士がお互いに薄氷を踏むような際どいところで競っていることが、AIの登場によって、より白熱して伝わっていくのです。
世代を超えて向き合える「将棋」というコミュニケーション
―AIやオンライン観戦など、技術革新と相まって個人対決の迫力が増す時代になりましたが、日本将棋連盟では、昨年末から「東西対抗戦」や「師弟トーナメント」など団体戦の企画も展開しています。お二人は「東西対抗戦」に出場しましたが、いかがでしたか。
藤井 将棋界は昔から東京と関西でライバル心を持ち競ってきた歴史がありますので、それを踏まえて、東西対抗という枠組みを復活させたことはとても新鮮に感じました。
羽生 もちろん、今はいろいろな交流もあり昔ほどのライバル心はありませんが、長くコロナ禍で集客できなかった時期を経て、有観客のイベントが開催できたのは、本当にありがたいことでした。今後も将棋ファンの皆さんに楽しんでもらえるイベントを続けていけたらいいなと考えています。
溯りますと、明治から大正にかけての黎明期、関根金次郎十三世名人と阪田三吉王将の対局は本や映画にもなりましたし、また第二次大戦後、大山康晴先生が木村義雄十四世名人を制し関西棋士初の新名人になった時には「名人の箱根越え」と言われました。東西対決は将棋界でも歴史的な意味があります。当時と今では棋士の雰囲気やいでたちは異なるものの、対局時の感情の揺れや緊迫感、集中する部分は変わっていません。
将棋の面白いところは100年近く幅のある世代とでも1つの盤に向かって対局でき、様々な感情のやりとり、コミュニケーションができることです。例えば私の場合、一番年上では明治生まれの棋士とも対局しています。スポーツであれば、少し世代が離れてしまうと一緒に楽しむことが難しくなります。こうした世代を超えたコミュニケーションは将棋の世界ならではと言えますし、自分自身にとっても得難い経験になっています。
藤井 私のデビュー戦は加藤一二三九段との対局で、さすがに緊張しました。ただ、投了後にお互い対局を振り返る感想戦も含めて、加藤先生の読み筋をいろいろ伺うことができたのはとても良い経験でした。
―「師弟トーナメント」は、社会人としての学びを師匠から得ることは大きい、という佐藤康光九段(日本将棋連盟会長)の着想から、新たに実施したものです。
羽生 師匠の家に住み込んで修業する形の内弟子が減り、師弟関係は以前より希薄かもしれませんが、今でも師匠は親代わりの立場にもなります。昔は師匠の背中を見て弟子は育つとされ、直接教えることは少なかったのですが、今は弟子のことが心配でつい教えてしまうというケースもあるようです。藤井さんと師匠の杉本昌隆八段の様子はほほ笑ましくて、師匠が常に心配性で、でもそういう中でスクスクと育ったという感じがしています。私は弟子をとっていませんが、ものすごく喜びや充実感があるのだろうなと思います。
藤井 振り返りますと、師匠にはいつもフラットに接してもらえたという印象が強く、何かこうしなさいと言われたことは全くありませんでした。自分が伸びるための環境を整えて下さったと感謝しています。
羽生 藤井さんにとって最高の師匠だと思いますし、杉本八段にとっても間違いなく藤井さんは最高の弟子で、お2人の師弟関係を見ていると巡り合いの素晴らしさを感じます。
―師弟トーナメントでは、弟子との対局で久々に若々しい将棋を指せた、というコメントが寄せられるなど、師匠の側の刺激も大きかったようです。ところで、過去から現在に至る先輩棋士の中で、将棋を指してみたい方はいますか。
藤井 過去の方も含めてということなら大きく溯りますが、江戸時代の九世名人である大橋宗英が特に強かったといわれていますので、対戦してみたいです。この大橋宗英の少し前に、有名な詰将棋作品集『将棋無双』や『将棋図巧』(注4)が献上図式として出ていますが、宗英はあまり詰将棋が好きではなかったらしく、献上図式を出していません。個人的には出してほしかったのですが、それだけ将棋に打ち込んでいたのかなとは思います。
羽生 私は升田幸三実力制第四代名人です。大山先生とは10局ぐらい対局していますが、できれば升田先生とも対局したかったという思いがあります。ちなみに、升田先生には、私は囲碁を教わって負かされたことがあります。升田先生は弱い相手をこてんぱんに負かすのが大好きで、ちょうど囲碁の相手として私が適任だったようです(笑)。
―最後に、漢字2文字を揮毫するとしたら、どんな言葉を選びますか。
羽生 私は「玲瓏」という言葉をよく書きます。もともと「八面玲瓏」という四字熟語で、風光明媚な景色の様や心境を表していて、「明鏡止水」に近いですが、そういう心境が1つの理想としてあります。
藤井 私は最近では「初心」でしょうか。棋士になってから5年ぐらいたちましたが、感覚的にはそれほど変化がないともいえるものの、将棋を始めた頃の新鮮な気持ちや将棋盤を前にした時のワクワクする気持ちを常に持っていたい、と思っています。
―本日はどうもありがとうございました。
- 注1…タイトル戦は竜王戦を含めて計8つで、うち最も歴史があるのは名人戦。
- 注2…当時のタイトル戦は7つ。
- 注3…1ラウンドにつき5問出題、制限時間90分。
- 注4…『将棋無双』は七世名人の伊藤宗看により、『将棋図巧』はその弟で名人候補だった伊藤看寿により作られ、江戸幕府に献上された詰将棋図式集。