私の米国初訪問は1968年、当時工学部の学生で夏休みを利用し、西海岸から東海岸まで大学や企業を訪問して巡る貧乏旅行だった。米国の第一印象は途轍もなく大きく豊かな国だということに尽きる。常にフロンティアが拡大していく国だと実感した。
次の大きな体験は10年後、1978年から1年間、カリフォルニア州スタンフォード大学への留学だ。コンピューターサイエンス学科の修士課程で極めて実践的なコンピューターテクノロジーを学んだ。そこでの印象は大学教授陣の多くがビジネスの経験を持ち、コース内容も仕事に直結しているというもので、シリコンバレーでの産学連携はごく自然なあり方、エコシステムだと知った。
その後も、多く米国出張に出かけたが、2005年から4年半、シリコンバレーの中心地サンノゼでハードディスクドライブ製造販売会社の経営再建に携わった経験が大きい。米国社会、特に最先端技術を競うシリコンバレーでは、人種、国籍、言語、文化等の多様性が組織の前提であり、それが組織運営の難しさと同時に活力であることを痛感した。当時の経営陣20名弱に欧州、アジアなど8カ国の出身者がいたので、経営会議では多様な英語が飛び交った。
以上の諸点、巨大な国家、産業とアカデミズムの融合、民族文化の多様性等は日本とだいぶ異なるものであり、日米関係を考え行動する際に、しっかり念頭に置くべきことであろう。その一つは、日米関係が二国間関係にとどまらないということである。米国自体が多くの国々から移住してきた人々の集まりであり、そもそも内なる多様性を持っていること。また、巨大国家であるが故に、多くの国々、地域に対する多様な影響を常に考慮せざるを得ないこと。それらを前提に折衝、対話をすべきだと思う。
もう一点は、米国での産学連携にもあるように、人の移動が活発で多様であることである。日米間の対話は、政治、経済、アカデミズム等、多様な人々が多面的に取り組むべきものだと思う。今年7月に経団連が初めて、全米を3コースに分けてミッションを派遣し、各地でさまざまな対話を実施したことの意義は大きい。
米国は太平洋を隔ててはいるが、対岸の巨大な友好国である。永続的で発展性のある関係構築を図っていきたい。